小林三郎 入社した頃のホンダを思い出して

正直言うと、良い印象はまったくなかった。言葉はがさつで、しょっちゅう怒鳴りあっているし、メシはぴちゃぴちゃ音をたてて食う。「食事をとる」なんて生易しいものではなく、まさに「メシを食って」いた。
話してみるとケチで強欲で自分勝手。いいと思ったことしかやらないし、したくないと思ったらテコでも動かない。アメリカでは「Mr.Kobayashi」だったが、本田技術研究所では「よう、あんちゃん」である。
服のセンスなんて言わずもがな。すべてが洗練とか上品とかの正反対だった。(中略)
私にとって「本田技術研究所」は異境、もっといえば魔境だったのである。そこではアメリカで学んできた最新の技術も論理的思考も生かしようがなかった。
すぐに辞めたくなった。
-[1945-] 東京都出身の技術者・ホンダで日本初のエアバッグシステムを開発・量産化 小林三郎2012年著『ホンダ イノベーションの神髄――独創的な製品はこうつくる』より-
皆さんは「世界のホンダ」といえば、自由闊達、ワイガヤ主義、F1&MotoGP世界チャンピオン、本田宗一郎などというキーワードを思いつくだろう。もっとも、これは今の50代以上の世代だけかもしれないけど。
でも洗練された企業のイメージがあるホンダだよね。でも、超一流エンジニアとして、早稲田大理工学部卒、米国UCバークレー校留学で1971年に「本田技術研究所」に入社したエリート青年、小林三郎が見たホンダの第一印象はかようなものであったのだ!

小林氏は、後にホンダで、世界ではじめてエアバッグを開発する。そして、「ホンダにはイノベーションしやすい企業風土がる」と言い切っている。

何を言いたいのかというと、自由闊達というのは、はたからみてそんなにスマートでかっこいいものじゃないってことだよね。1971年当時のホンダは、スーパーカブが世界的大ヒット。そしてCB750Fourがこれまた世界的大ヒット。F1のチャンピオンメーカーの余韻も冷めやらず、後に全米で大ヒットする、世界初のクリーンカー、ホンダ・シビック発売目前という、まさにわが世の春の時代だった。

この時期においても、アメリカ帰りのエリートエンジニアのタマゴには、ホンダは、「とんでもない会社」に映ったのだった。でも、こんなに猛者(もさ)で常識はずれの社員(と社長の本田宗一郎さん)だからこそ、世界の頂点まで行き着いたとも言えるんだと思うぞ。
おそらく、いまのホンダはカッコよくセンスのいい都会的な高学歴の人が多いんだろうな。
それと反比例に競争力は低下の一途。

会社には、ワイルドで危険な香りが必要だ。オタクでも直情型でも、社会性がなくても、ひとつ光るものを持っている野武士の集団と広い許容量が必要だ。
僕はそう思っています。ついていけなくて辞めていく社員もいるけど、辞めて会社をボロクソ言う人もいる。でも、能力を発揮している社員がいるからこそ会社は成長できる。
いまいる社員のための成長企業でありたいと思っています。

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ZZRさん、お久しぶりです。
あいかわらずストイックに頑張っていますね!!僕も長年は走っていましたが、腰痛がでていま走ることを控えています。
ZZRさんの背中を子どもたちが見ているのですよね。立派な姿を見せてあげてくださいね。

こんにちは。
2週間前、福岡マラソン完走してきました。
前半に膝が痛みだし、両足ふくらはぎもつりはじめたため、走ったり歩いたりで、制限時間の10数分前にギリギリで完走できました。
来年2月には東京マラソンに出走します。奇跡のビギナーズラックで当選しました。
練習と体重減を図り、東京の大舞台でも完走してきます。

私も、家族が成長していけるように、まずは自分自身が成長を続けたいと思います。

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