吉行淳之介『驟雨』

そのとき、彼の眼に、異様な光景が映ってきた。
道路の向こう側に植えられている一本の贋アカシヤのすべての枝から、おびただしい葉が一斉に離れ落ちているのだ。
風は無く、梢の細い枝もすこしも揺れていない。
葉の色はまだ緑をとどめている。
それなのに、はげしい落葉である。
それは、まるで緑色の驟雨(しゅうう)であった。
ある期間かかって、少しずつ淋しくなってゆくはずの樹木が、一瞬のうちに裸木となってしまおうとしている。
地面にはいちめんに緑の葉が散り敷いていた。
-[1924-94] 小説家 吉行淳之介1954年著第31回芥川賞受賞作『驟雨』より英夫と娼婦の道子が、朝のカフェの窓から外の景色を眺めるシーン-
みなさんは小説って読みますか?
僕は小説を読むのは大好きです。いろんなジャンルの小説がありますが、おそらく僕が最も繰り返し読んだ小説は、吉行淳之介の代表作でもある短編『驟雨(しゅうう)』でしょうね。

昭和29年に芥川賞を受賞したというから、僕が生まれる5年前、1954年の小説です。
舞台はおそらく新宿の娼婦街・・・むかしは「赤線」といったんですね。さすが僕の世代でも「赤線」は知りません。僕が生まれた昭和34年に廃止になったんですね。
物語は、大学卒業して3年のサラリーマン山村英夫と娼婦(この言葉もいまや現実感がないなあ)の道子の物語です。

恋をすることが面倒くさい25歳の英夫が、21歳の娼婦:道子にどんどん引き込まれてしまう話なのです。なぜこの小説にひかれて何度も読んでしまうのか?
ひとつは「昭和」という遠くなった時代へのあこがれもあるでしょう。僕らの世代は、昭和の時代のど真ん中で生まれた世代だから、この時代背景・・・「三丁目の夕日」とも重なるノスタルジーがある。それと・・この世界観がいいのです。

吉行の言葉も美しい。「おびただしい葉が一斉に離れ落ちている」とか、「いちめんに緑の葉が散り敷いていた」なんて鳥肌が立つくらいに美しい!!

それと・・・大人なんです。主人公の英夫も道子も。
「君、女優のJJに似ているね」
「私は誰にもに似ていなくていのです。私は・・・わたしでいいのです」
「あはは、贅沢を言っちゃいけない。JJあたりで我慢しておきなさい」

この台詞が、25歳の男と21歳の女の台詞とはいまの時代ではありえないような大人ぶりです。
同じ芥川賞作品でも最近の小説は空疎なものが多い。
お笑いタレントの又吉直樹が書いた『火花』は久々正当におもしろかった。
その他は本当に空疎で中身の無い小説が増えてしまったような気がする。

日本人が活字を読まなくなって久しいといわれているけど、読むべき活字が少なくなっているのも事実だと思うぞ。
どうか若者諸君!!ちょっとむかしの小説を手にとって読んでみてください。
とても美しく優雅な時間と深い日本語にあふれているから。

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