歴史は「政治の時代」、「経済の時代」、「文化の時代」と3つの時代を繰り返す

 [1922-2015] 福井県出身の経営コンサルタント タナベ経営 創業者・会長 田辺昇一の言葉-

時代のパラダイムは「政治の時代」⇒「経済の時代」⇒「文化の時代」を循環する

 

「政治の時代」とは近代史で言えば1853年、米国人ペリーが黒船で日本侵略の意図をもってやってきたときからの時代を指すでしょう。260余年続いた徳川幕府が崩壊し、西欧近代政治と科学技術を受け入れ、資源のない貧しい日本を国家主導で近代化を成し遂げた。国民もまた重税に耐え、日本はアジアで独立独歩世界の近代国家の仲間入りをしました。しかしながら、政治の行き着くところは戦争です。維新から約80年続いた「政治の時代」は1945年、原爆投下と敗戦によって幕を閉じました。

次に起きたパラダイムシフトは「経済の時代」です。昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた日本人は、焦土と化した国家を再興するため「カネのためならなんでもする」という「経済の時代」へとあっという間にシフトしました。「民主主義」なるイデオロギーもよく理解もしないまま受け入れました。ここまでフットワークが軽いのも、江戸末期まで3000万人ほどの人口だったこの島国が、「政治の時代」の産めよ増やせよで、7000万人強にも膨れ上がった若者国家だからこそできたのでしょう。やはり「若い」というのは無限のエネルギーがあるものです。

ここからの高度経済成長はいうまでもありませんね。

「政治の時代」から「経済の時代」へのパラダイムシフトは見てわかりやすいのです。零戦と戦艦大和の時代から経済成長ですから「時代は変わった」という認識をみんなもてたわけです。

 

問題は「経済の時代」崩壊後の「文化の時代」への移行という認識

 

では「経済の時代」から「文化の時代」とはどのような状況なのか?それと、いつ「経済の時代」から「文化の時代」へとシフトしたのか?それは、1990年代「バブル崩壊」をきっかけにしていると考えられます。「経済の時代」は大雑把にいえば「儲かるか儲からないか」という二元論の価値観です。それまでの「政治の時代」の道徳的価値観を良くも悪くも否定したところから始まっています。会社は大きい方がいい。就職の選択は初任給がの高さで選ぶ。すべての価値観が「利益」という価値観で決まっていく時代でした。過去の歴史を否定し、いまを謳歌し、狂ったように利益を追求する価値観でした。「観念よりもカネ」です。わかりやすい価値観なのです。特に1980年代にレーガン・サッチャー時代の米英から起きた「新自由主義」的価値観とソ連旧:ソビエト社会主義共和国連邦)の崩壊をきっかけに、カネの生み出す価値観至上主義に陥ったようでした。しかし、現実はミルトン・フリードマンの言うように、市場の見えざる手に任せておけば、経済の効率性と安定性は両立し、最終的には必ず安定する・・・とはならず世界的なバブルの崩壊を受けて「経済の時代」の価値観は終わり、合理的ではなくても、多様な文化を主張しあう「文化の時代」へとパラダイムシフトしたのです。そういう意味ではいま起きているテロリズムの問題も「文化の時代」のひとつの現象と言えるでしょう。やっかいなのは、「経済の時代」と「文化の時代」は価値観が180度変わっているにもかかわらず、その変化が目には見えにくいところにあると言えるでしょう。

 

「経済の時代」と「文化の時代」は対処法もまったく違う

 

一例をあげて説明しましょう。いま自動車が売れない時代と言われます。その代表的理由が、「若者がスマホの通信費におカネを使いクルマを買わなくなった」と言われます。そこで自動車会社は小さく、燃費のいい家族で使えるコストのかからない「経済の時代」の論理でクルマを作って対応した。それはそれなりに効果があった。

しかし、片方でフェラーリポルシェの高級車の売り上げはバブルの時代以上に売れているのも事実です。こりゃどうしたことでしょう? 輸入外車やハーレーダビッドソンもたいへん増えました。景気は良くないのにこれはどういうことでしょう?「文化の時代」の潜在顧客は、美しいもの、可愛いもの、個性的なものを欲しがる層がたくさん出てきます。その人たちがコスト一辺倒で、画一化された、美しくもない、どれも同じような無味乾燥な国産車から「多少コストがかかっても」美しく個性的な輸入外車に乗り換えたと考えられます。

 

形式知の「経済の時代」  暗黙知の「文化の時代」

 

「経済の時代」は形式知を重視します。燃費、馬力、価格・・・すべて数値で表せる形式知です。

「文化の時代」は暗黙知の時代です。美しい、心地よい、文化的歴史的価値観・・・これは数値化できません。暗黙知です。燃費のいいエンジンを作るよりも美しいスタイルのクルマを作る方が難しいといえます。「美しい」の答はひとつではないからです。日本は「経済の時代」に順応しすぎてここをおろそかにしてきた。「売れるデザイン」と「美しいデザイン」は根本的に違います。社長は芸術センスに欠けた営業マンあがりばかりになり、価格には敏感だけど、美的感覚に欠けた人ばかりになっていた。芸術じゃメシは食えない「経済の時代」が60年も続いたからです。あえていえば「経済の時代」、芸術は投機の対象でしかなかった。美しさすら「カネの価値」という形式知に変換しないと理解できなかった人たちが主役だったからです。

そうこうするうち、形式知的技術優位も怪しくなってきました。世界は「文化の時代」になっていたからです。若かった日本もいつのまにか年老いてきました。

いま世界を席巻しているスマートフォンも音楽やアプリをダウンロードしたりする画期的な仕組みは、暗黙知的な文化的価値観が生んだものといえるでしょう。性能と革新的なスタイルで高額な外国製掃除機が日本でも大ヒットしました。ロボット掃除機も外国製でした。

日本製はみな、二番煎じです。「文化の時代」型発想力が明らかに欠けています。老人は保守的ですし、過去の「経済の時代」の強烈な成功体験が180度違う価値観を否定します。

しかし、そんな日本でも、多様な価値観の人が明らかに増えてきました。その新しい人たちは「経済の時代」の成功体験者には、だらしなくヤル気のない人に見えてしまうのです。

 

問題の真因は「経済の時代」から抜け出せない経営者にある

 

ずばり言うと、元気がない日本の真の問題点は、「経済の時代」の成功体験から抜け出せない経営者にあるといえます。これまでの説明でもわかるように、「経済の時代」の対処法は「文化の時代」には効果があるどころか、かえってマイナスになってしまうのです。

それがパラダイムシフトなのです。1575年、長篠の戦で最強の武田騎馬軍団は、尾張の田舎侍織田の寄せ集め足軽が放つ新兵器「鉄砲」に全滅させられました。1939年、国境に世界最大の要塞マジノ線を配し、最強といわれた先の大戦の戦勝国フランス陸軍は、敗戦国で人類史上初めて空軍・陸軍の無線を活用した三次元的攻撃を実用化した機械化軍団ドイツ軍の「電撃戦」にたった一ヶ月で降伏しました。過去の成功体験はこれほどあっけなく崩壊するのです。

鉄砲、電撃戦、そして現代のICT。すべて過去の成功体験を破壊するイノベーターです。

「文化の時代」がこれほど急速に進化したのはスマホに代表されるICTの普及が大きい。

ICTは、グローバル化を加速する。「経済の時代」グローバル化とは世界がアメリカ化することだと言われていた。しかしそれはローカルを世界に発信し「グローカル化」して自己主張する「文化の時代」を加速したのです。

滅びかけていた宗教観が復活し、カネで解決する思想を否定し、効率化と逆の価値観を主張する。世界の同じ価値観の人たちがネットを通じて連携する。それは手のひらに収まるほど小さい。もうすぐ握る必要すらなくなるでしょう。

ICT技術は、言葉の壁も超える。AI:人工知能を生む。ビッグデータの解析を可能にする。

見えなかったものを「見える化」する。つまり・・・「暗黙知」を「形式知」化するのです。

これが画一的な価値観を、多様な価値観に変えていく起爆剤となるのです。

いまの日本の「経済の時代」に生きる経営者や政治家は、武田の騎馬軍団やフランス軍のマジノ線から抜け出せない。みなさんはスマホ、扱えますか?

 

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