テオドール・アドルノ

ヘーゲル以来の弁証法は「正⇒反⇒合」のところで「生成」を謳(うた)っているけれども、その生成は空虚なものになるであろう。
なぜなら、それは「中心」を持とうとするからだ。中心を持とうとした社会は崩壊する。
近代はまさに中心を持とうとし、その近代こそが「反近代」をつくるのである。
-[1903-1969] ドイツの哲学者 テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』より-
アドルノは偉大な哲学者です。
彼によると、ヘーゲル[1770-1831]の弁証法にみられる「らせん階段的発展の法則」・・・つまり「文化の時代」は過去の価値観への退行現象が起きるが、それは上から見た場合であり、横から見ると一段上に昇ったらせん階段的進化を示すというものなんだね。

これが僕がよく講演や講義で言う「文化の時代」の基礎になっているんだ。
「経済の時代」はカネという尺度が絶対価値観であったので、儲かるか儲からないかという二元論で世界は進化した。資本主義も共産主義もカネという経済の解釈で起きた思想だよね。

しかし、当然ながらカネで問題が解決するはずもなく、世界のアタマのいい若者の理想だった共産主義も崩壊し、偉そうな勝利者だった資本主義も崩壊しつつある。

となると、不変な価値観は宗教だってことになり、いまや共産ゲリラにかわってイスラム原理主義テロとなった。中身はあまりかわらないんだけどね。
大義名分のイデオロギーがマルクス・レーニン主義からムハンマドのコーランに替わっただけだ。

マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』と旧ソ連の共産主義が似ても似つかないシロモノになったのと同様、コーランの内容とISの無差別テロは似ても似つかないものになっている。

しかし世界中でおきているナショナリズムは『文化の時代』が生み出す必然なのだろうと思うぞ。
「文化」という概念が、アドルノが言うように、その国や地域の中心なるものに作られてきたからだ。
ナショナリズムもその「中心」が織りなす文化に他ならない。
ということは、「文化の時代」もいずれ崩壊し、崩壊を再統合するために、再び強い権力・・・「政治の時代」が始まるというわけだね。

歴史は、「政治の時代」⇒「経済の時代」⇒「文化の時代」をこうやってまわしていくんだね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.q-bic.net/mt4/mt-tb.cgi/2284

コメントする

月別 アーカイブ