汝、他の者に教えるように自らも行え。
‐[BC463?-BC383? 不詳] ネパール出身仏教の開祖 釈迦(ゴータマ・シッダルタの言葉‐
このバイカー修ちゃんも含め、僕らはあまりに他人への非難ばかりに満ちていると思う。
政治を責め、経済を責め、隣人を責め、家族を責め、そしてせめる相手がなくなったら自分を責める。
すべての事象は、表と裏、正と非、本音と建前、主観と客観、事実と思われる虚偽と虚偽と思われる事実、光と影、言葉になるものと言葉にならぬもの、でなりたっている。
ところが、いつのころからかこのバランスが崩れてきたように思う。
つまり片面しかみないのだ。
表のみ見て、裏は見ない。
かと思えば、裏ばかりみて表の見えない人もいる。
表しか見えない人は、人の表面(おもてづら)しか見えないからすぐだまされる。
裏しか見えない人は、人を勘ぐって結局自分で墓穴を掘る。
どっちも、お先はあわれなもんだと思うぞ。
そして決まり文句は「社会が悪い!」と相場は決まってる。
目に見えるものしか信じない人もいる。
本当に大事なものは「目に見えないもの」であることが信じられない。
かわいそうに。
しかし、だれであろうと、釈迦もキリストも信じない人だって、何かを信じないと生きていけない。
妖しい新興宗教に走る人もいる。
カネの力が絶対だと信じる人もいる。
家族の愛に気付いたけれども・・すでに家族は去っていった後だった人もいる。
現代が怖いのは、「信じていたもの」がいとも簡単に否定されてしまうことだとも思う。
ある年齢になると気付くことがあるんだね。
みんな自分を信じられないから、何か別のものを信じたいんだってね。
日本がもっと貧しいころは、他人がなんと言おうとオレはこれでいいんだ!・・ていう人が多かったようにも思う。
「別のものを信じたい」潜在意識が、他人に過剰に期待する言葉となって口からでる人がいかに多いことか!
子どもの権利を主張する親、・・・でもその子どもは「うちの子ども」だけだったりする。
果たすべき義務を果たしてこそ、「権利」が生まれるってことはスッポリぬけてる。
これが意外とインテリに多いことも現代病だな。
国の首相からしてそうなんだから、それを選んだ国民もそうなんだろう。
釈迦の時代からたぶん人間の社会はそうだったんだろう。
生命が生まれてここまで30億から40億年っていわれてるけどそんなことは誰にもわからないし、今後もわからないだろう。
でも、インテリ連中は、「科学的にはそういわれている」なんてのたまうから、やっぱネジが弛んでるんだな。自分で考えることをしないで、受け売りが多いこの世の中。
お釈迦さまの時代から、たった2500年程度じゃ人間の行いも大きく変わってはいないのかもしれない。
だって、お釈迦さまの言う「人に偉そうに説教することを、まず自分で行え」ってのは今でも充分通用するもんな。
何度も言うけど、自分ができもしないことを他人に言う前に、黙々と自分ができることを、毎日こつこつと行うことが大事でしょう。
稲盛さんだから「日本人は劣化した」って言えるのであって、
http://www.q-bic.net/biker_blog/2010/02/post-2153.html
僕らが安易にこれを口にしちゃいけない。
「劣化」してるのは他人じゃない。それは「私」なんだから。
人生がうまくいかないのは「私」に問題があるんだから。
他人を批判する前に、真摯にならなけりゃならないのは自分です。
他人の批判はかんたんです。僕だって今、批判をしている。
でも自分の過去の行いを批判してみませんか?
すると、今行う行動が変わりますよ。



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