生き永らうためには服従すべきであろう。
しかし存在し続けるためには戦うべきである。
‐[1900-1944] フランスの飛行家・作家 アントワーヌ・M・R・ド・サン=テグジュペリの言葉‐
2月1日月曜日、バイカー修ちゃんは始めての体験をさせてもらった。
「長崎県ろうあ福祉協会」の大村支部にて講演会を行った。
当然ボランティアだよ。
http://www.roua-nagasaki.ecweb.jp/
『社会はどう変わろうとしているのか』というテーマで講演70分の予定が、質問ぜめで2時間に及び・・・終わったら、夜の9時半をまわっていた。
手話ボランティアの方が二人交代で、僕の話しを通訳してくれて話しが通じるのか最初は不安だったんだ。
しかし、こりゃまったくの杞憂で、ろうあ者のみなさん約30人はとても活き活きされていた。
手話ってもう言葉と同じで小さな感情の表現も見事に伝わるんだねえ!
もう途中から、「この方々は障害者なんだ」って意識もなくなるくらい楽しい時間だった。
ろうあ者の方々はとても表情が豊かなんだ。
感情表現も喜怒哀楽がはっきりしてて話していて楽しい。
心から笑える人の顔ってこんなにかわいいんだ。
ろうあ者の方々は当然ながら耳が聞こえない。
耳が聞こえないということは、まったくの無音の世界に生きているってことだ。
これがどんなに辛いか僕らには想像がつかない。
情報が遮断されているから・・当然話すことができない。
僕らは当然のように「言葉」を話せるけど、これがどのくらい複雑なコミュニケーションの中から身につけることのできる能力なのかをはじめて実感した。
聞くことができなければ、話すことはできないんだ。
でも僕は、彼ら彼女らには僕らに見えないことが見えていることを感じた。
だからそれをみなさんに聞いてみたんだ。
ろうあ者の方々は、相手の目を見るとその人がなにを考えているのかわかるんだそうだ。
言っていることと考えていることが違うってことがわかるんだそうだ。
人間、何かを失って得られることもある・・・いや、失ったからこそ得られるものがあるんだ。
ろうあ者の方々は、視覚障害者と違って、一見まったく障害者には見えない(当然だ)。
お世話をしてくれた大村支部長の荒木さんは、大柄でジャン・レノそっくりのイケメンだ。
まったく障害者に見えない。
そこがろうあ者の方々の苦労でもあるんだね。コミュニケーションをとるにはとても難しい壁が・・ある。
だから相手の心を読むすべを自然と身につけることになる。
おそらく目で見た映像に、彼らなりの音も聞こえているに違いない。
「聞くこと」を失ったからこそとても豊かな感受性と、共感性が備わったのに違いない。
みんな笑顔がすばらしい。健常者で笑顔のすばらしい人がどれくらいいる?
段上から笑顔を見てて感動したことは生まれてはじめての経験だった。
いや・・まてよ?一度あったぞ。
そうだ、青年会議所時代にタイのワットサーキャオ寺院に3000人の親のない子へのボランティアへ行ったときの子どもたちの笑顔を見たときも身体が震えて涙が出てきたっけ。
僕らが忘れている「笑顔」と「共感性」。
僕らこそ目に見えない大事なものを失った障害者なんじゃないかと感じたな。
たしかに生きていくには、社会の手助けが必要だ。
でも「人の役に立ちたい」って思いは共通だ。
いや、障害者のみなさんこそ強くそれを感じていると強烈に感じた。
『服従しながら戦う』サンテグジュペリの言葉は一見矛盾しているように思う。
しかし、人間も社会もみな服従しながら戦っているのではないかな。
健常者も障害者も、誰一人として独りでは生きてはいけないのは共通しているだろう?
僕らは「個人主義」だなんて気取っているけど・・・それは思いあがりだ。
ろうあ者のみなさんに笑顔で迎えられて、質問と握手ぜめにあって、とても大事なことを教えていただいたのは・・・私です。
ボランティアなんておこがましい。
僕が皆さんにボランティアでお付き合いいただいた2月1日の夜でした。
「また、バイカー修さんを呼んでもいいですか?」
「どうぞどうぞ!いつでも参上いたします」


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