ぴんと張りつめた翼は、空気を鋭く切り裂き、反転するたびにキラリキラリと陽光を反射した。

私は一瞬、自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて、「美しい!」と咽喉(のど)の底で叫んでいた。

‐[1903-82] 群馬県出身三菱零式艦上戦闘機の設計主務者 堀越二郎『零戦』より1939年零戦試作一号機の飛行の模様‐

 今日の朝刊のコラムにも戦争の話しが載っていた。

思えば沖縄で今、米軍の基地移転の問題でゴタゴタしていることだって日本が戦争に負けたことが起因している。

その意味で朝鮮戦争がいまだ終わっていない(休戦状態が50年以上続いてる)ように日本の戦争も終わってはいないんだなと感じる。

今日の「零戦」・・「ゼロセン」という方が一般的だろうな。

これがあったおかげで「真珠湾攻撃」なる奇襲作戦が可能になった。

欧米の戦闘機に匹敵する高性能に加え、普通の戦闘機の5倍にもおよぶ長大な航続力を持った世界初の「戦略戦闘機」だったのだ。

当初欧米も信じられなかったくらいのこの性能を持った新型戦闘機がな・なんと後進国と思っていた日本から出現したことがオドロキだった。

「猿まね」と評されたアジアの後進国日本から、欧米列強を震撼させる恐るべき新兵器が登場した。

開戦当初は多くの連合軍パイロットが「ゼロ・ショック」で神経症になるくらい一方的な戦闘だったそうな。

そりゃそうだ。日本のパイロットは「つり目で操縦に向かない」どころか、中国の空で実践を経験したツワモノぞろいだったんだ。

すでにその存在は、太平洋戦争開戦前年の1940年に中国の空に出現し、中国空軍のソ連製「ポリカルポフ I‐16」や、米軍義勇兵「フライング・タイガース」の米国製「カーチスP40」を蹴散らしていた。

しかし・・・思い込みは恐ろしい。

アメリカやイギリスは「アジア人なんかにそんな戦闘機が造れるはずはない。誤報だろう?」ってな調子で無視。

「どうせできそこないのコピーだろう」とか、「日本人はつり目なので飛行機の操縦に向いていない」とか、かなり偏見に満ち満ちた報告がされていた。(ホントだよ!)

実質的にこのパールハーバー(真珠湾)で白日の下にデビューしたこの「零戦」。

恐るべき威力を発揮したのでした。アメリカ軍は何をもってきても勝ち目なし。

イギリス軍は急遽ヨーロッパから派遣した世界最強の戦闘機と自負していた「スピットファイア」も一方的に「零戦」の前に敗北した。

ちなみに「零戦」VS「スピットファイア

バイカー修ちゃんは、星の数ほどある第二次大戦戦闘機でもこの両者は、「絶世の美女対決」だと思っています。

この二人は本当に美しい・・・。もし戦闘機に「ミス・ワールドコンテスト」があったら間違いなくこの二人は優勝候補だろうと思うぞ。

美人が少ない日本とイギリスから候補がでることも珍しい(失礼!!)

堀越二郎はこの生みの親なんだ。

バイカー修ちゃんは、中学校の頃ホンモノの零戦がアメリカから日本に里帰りして飛行する姿を長崎県大村市で見たことがある。

堀越さんじゃないけど、あまりの美しさに感動を通り越し声も出ず、涙がポロポロ出てきたのを覚えてる。

生まれて初めて見る「零戦」はのに不思議だけど、とっても「懐かしく」感じたんだ。

その後、ネバダの大学時代、リノのエアレースで「スピットファイア」も「P51ムスタング」もいっぱい見たし、触った。

磨きこまれて今ロールアウトしたばかりの新品に見えたそれらより、「零戦」はか細く、たおやかで大和撫子そのものだった。

こんな美しい飛行機が、そんなに強いなんて信じられなかった。

いまだメイド・イン・ジャパンの製品で「零戦」より美しい製品をバイカー修ちゃんは知らない。

これが恐るべき「メイド・イン・ジャパン」の第一号だろう。

「零戦」は滅びて日本人の記憶からも消えようとしている。

でも世界的にはこの名機の人気はバツグンで、アメリカやなんとロシアでまで新品が製造されて販売されているんだよ!

オドロキでしょう!!

「戦争の道具」って一言で切り捨てないでね。とくに女性の方々。

僕らの身の回りのクルマやバイクや新幹線や、その他いろいろなものはこの「零戦」の末裔なんだよ。

零戦のパイロットの多くのツワモノの多くは、ラストサムライになって戦後の繁栄を信じて散っていった。

バイカー修ちゃんのおじいちゃんも海に散っていった。

みなさんのおじいちゃんやおばあちゃんにもそういう人は必ずいるはずだ。

絶対忘れちゃいけないはずだよ。

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