人間はみかけに反して自己の目的を創り出すことはしない。
「生まれた時代」が人間に目的を押しつけてくるのだ。
‐[1921-2006] ポーランドのSF作家スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」ケルビンの台詞‐
「ソラリスの陽のもとに」ポーランドの偉大なSF作家の作品だ。
バイカー修ちゃんはこの作品が大好きだ。
今まで二度映画化されている。巨匠タルコフスキーが監督した旧ソ連の「惑星ソラリス」とアメリカ映画のジョージ・クルーニー主演の「ソラリス」だ。
ま、どっちも原作にくらべればぜんぜんおもしろくなかった。
原作の壮大さと深さがちっともでていない。ま、「映画は原作を超えられない」というジンクスの象徴みたいな作品だ。
ちょっと作品を紹介すると、地球人が発見した陸地のない「海の惑星ソラリス」に調査に行った調査隊からの連絡がとぎれる。そして向かったケルビンたちは、そこで驚くべき状況を知る。
たった一人調査隊員が残されていた謎、そして「いるはずのない人間」が調査基地にいる!
ケルビンが目覚めると、死んだはずの恋人が微笑んでそばにいた・・。
ソラリスの海は、海そのものが「生命体」だった。
この発想は「わが意を得たり」って思ったな。
だって、海岸で波が打ち寄せてはひいていくあの波の音、何十億年も続いているんだよ。
まさに生きているとしか思えない。
今日の一言は、レムの哲学的SF作品「ソラリスの陽のもとに」からの一節だ。
僕らの目的は、そう・・自己発生的には生まれない。
それは時代が、環境が、僕らに目的を押し付けてくる。深いねえ・・・。
今日の言葉の続きを書こう。
『しかし、それに奉仕するにしろ、逆らうにしろ、奉仕の対象なり、逆らう対象なりは外から与えられたものだ。目的探求の完全な自由さを味わうためには一人でなければいけないと思うよ。
さもないとうまくいかない。
なぜかといえば、「人間は人間のなかで育てられる」からこそ初めて人間になれるのだからね。』
深いでしょう?
「ソラリスの陽のもとに」・・バイカー修ちゃんがSFの傑作だと思う小説です。
そうだな、もう一冊傑作SFをあげるとすれば、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」かな。
いったい地球人が他の惑星の「生命体」に出会う日はいつなんだろう?
それは「スター・ウォーズ」や「スタートレック」のような出会いではないだろう。
でもそのときは必ずやってくる。
一刻一刻と近づいていることだけは間違いないんだ。
生命観や、宇宙観がかわるだろうなあ。



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