「官吏(かんり)」と言うが、「官」と「吏」は違うのである。
「吏」は「こうなっています」と言い、それ以上の判断や行動を求められない。
重要なのは「官」で、政策論のできる人々のことなのである。
問題は、日本の社会にはこの両者が混在している点にある。
‐[1936-] 台北出身の桜美林大学孔子学院院長 光田明正「中華の発想と日本人」p204より‐
先日、僕が心から尊敬する桜美林大学大学院の光田先生が久々長崎に帰ってこられた。
ま、久々っていっても3ヶ月会えないと久々って感じるタイムスパンなんだけど。
僕は勝手に光田先生を恩師だと思っている。
台湾生まれで、東大経済卒で文部省大臣官房審議官だった人だ。
頭脳明晰で、教養のかたまり。驚くべき記憶力!かつ趣味人でスポーツマン。
なんかフランスあたりのエリートを絵に描いたような先生だ。
学問と教養はこのように使うんだな・・と教えてくれる人だと思う。
桜美林大学やウエスレヤン大学の学生は心して講義を聞くんだぞ。
それと・・・深い感性と人格を兼ね備えた哲人なんだ。
僕は光田先生と出会え、いろんなことを教わったことに感謝している。
光田先生のアッシーくんになって食事についていき、芸術家、舞踊家、茶人、企業経営者、なんにも分類できない不思議な人たち・・・に出会いじつにおもしろい会話とおいしい食事を楽しみ・・・・結果、勉強になる。
僕の発する「いまさら聞くに聞けない愚問」にも、本当に熱心に教えていただける・・・「いい質問ですね~。」 いや!そんなことないです。先生! その間つねに笑顔がたえない。
こんな出来の悪い僕をよくかわいがってくださる。
3年前に「瑞宝中綬章」を受勲されたときは自分のことのように嬉しかったな。
光田先生はまさに「官吏」だった。それも「官」だったのだ。
今の政治の天下り批判にも辟易するときがある。
なんでもかんでも「天下り」はだめだという論法。光田先生をみていると「人間というのはここまで知性と教養と人格を併せ持つことができるんだ」と感じる。
たしかに官吏の方々にも問題のある人はいるだろう。
でも政治家にも経営者にも、一般人にも問題のある人はいっぱいる。
みなさんはキャリア高級官僚経験者の能力がどれほど並外れてすごいかほとんどご存知ないでしょう?
ステレオタイプでみちゃいけない。政治家にも立派な方はたくさんいる。
しかしながら官僚・官吏批判を安易に行う・・選挙でなんちゃって当選した政治屋さんとでは次元が違うのだ。
「官」と「吏」は違うのだ。いっしょくたにして論議すべきじゃないだろうと思うぞ。



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