歌とは情をととのえる行為である。

言葉はその行為の印しである。

言葉は生活の産物であり、頭脳の反省による産物ではない。

‐[1902-83] 東京出身の昭和期の評論家・思想家 小林秀雄『言葉』より‐

今日は「終戦記念日」だ。個人的には「敗戦の日」と言ったほうがいいんじゃないかと思っている。

バイカー修ちゃんの家も、二人のおじいちゃんが軍人として亡くなり、米軍の爆撃で家まで失い大変な苦労をした話をよく聞かされた。

鹿児島県出水市で育った父が子供のころ、近所の海軍航空隊の飛行兵さんたちがとても可愛がってくれて飛行機に乗せてくれたことを話してくれた。

まあ・・、そのために米軍の艦載機から攻撃されて、機銃掃射は受けるは、家は飛行場への爆撃のおまけで吹っ飛ばされるはで散々な目にあっているんだけど。

戦争の記憶は遠くなるばかりだけど、その記憶は「歌」や「言葉」に封印されて生き残っているような気がする。

バイカー修ちゃんだって戦争は知らない世代だけど、「長崎の鐘」の歌を聴くと・・・涙がでてくる。

「こよなく晴れた青空を 悲しと思う せつなさよ・・」ってサトウハチローの詩は強烈だ。

この時期になると、戦争責任だ、いや日本は侵略国家ではなかっただとか、いろんな意見が出てくる。

戦争を知らない政治家がポーズで左翼を気取ったり、昨今は右傾化し核武装化論をかざすのを見ていると、さしたる歴史的教養も、深い思慮もないくせに発言する輩(やから)が多いのに辟易する。

しかしもっと恐ろしいのは、自由な意見を抹殺するような危険な「思考停止」があることのほうがもっと怖い。非武装論を言うのであれば、核武装論もあわせて論議して国家の責任だろう?

まるごしで平和を祈っていれば平和であるって論法はまちがっている。

これまでまがりなりにも平和だったのは、米国の核の傘に組み込まれて、日本の中にも核兵器が持ち込まれて防衛されているからだってのは周知の事実だろう?

もうウソの上塗りで誤魔化せる時代じゃない。

昨日、中1の娘と「火垂るの墓」を見た。とてもショックを感じたようだった。

そういう現実がたった64年前にこの日本であったことも知らない・・、知らせない、そして検証もしない、そんな無責任な国家が今のこの現状を生んでいることは・・・間違いないだろうな。

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コメント(2)

くまさん、バイカー修です。
この時期になると、お盆=終戦って図式で、ここ何年か「火垂るの墓」がテレビで放映されているような気がします。

娘が、せっかく節子に感情移入しているときにCMに切り替わっておバカなコマーシャルがはじまることにハラをたててました。

人間は、基本的に小心でまわりのことに心をさくことができにくいんだと思います。僕もいっしょですよ。
そういう心理は共通なのに、黙り込む人、人に迷惑をかけているのに一種それを優越感のように感じる人、表現はバラバラですが根っこは同じだと思います。

これは社会に共有化された「道徳」が崩壊してるからだと思います。「こうあらねばならない」っていうことを破壊してきたのが戦後ですからね。
自ら招いた結果だと言えるかもしれない。
古きよき伝統っていうけど、「伝統」とはそれを守り抜くちう意志からおこる価値観かもしれないね。

PS:くまさん、タクシーママが原爆の記事が削除されていたのを気にしてたよ。一応説明したけど・・・、ブログで説明したほうがいいんじゃない?

修ちゃんこんにちは 毎日暑いですね
自分の悲しみや不満にしか興味が持てない私達も、無差別大量殺人兵器を振り回す人達も結局は「自分以外を人として見る事が出来ない」という点でとてもよく似ているように思います。
そしてこのことは、戦争のような大きな事に限らず日常の中にも沢山溢れていますね。私なんて 見てみぬフリ、平気なフリで通り過ぎようとする些細な出来事の多いこと多いこと(^^;
でも考えるのをやめてはいけないんですね。伝えられる言葉の向こう側に居る「人」の気持ちをもっと大切にしようと思いました。

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