朝礼ネタ・スピーチに名言コラム~バイカー修ちゃん・今日の一言: 2009年8月アーカイブ

2009年8月

バイクでバー!っとどこかへ行きたいね。郊外の気持ちのいいところで走りたいよね。空気のいいことろへ行きたいなあ・・。

それも自分の宝物のような、一生の友人のようなバイクでね。

‐[1944-] 東京都出身「世界一速い社長」本田技研工業 第6代社長 福井威夫 20073月の発言‐

日本へ行くことを考えたかい?君が行けないのなら僕も行かないよ・・・、

でも僕が日本へ行かなければこの件は暗礁に乗り上げるだろうね。

‐[1954-] ブラジル出身 ルノー会長・日産自動車CEO カルロス・ゴーン・ビシャラが日産に行くことを妻のリタに切り出したときの言葉

真の天才とは、不確定で危険な、相矛盾する情報を評価する能力にある。

‐[1874-1965] 英国の元首相 サー・ウィンストン・レオナルド・スペンサー=チャーチルの発言‐

もっとも正直な男が書いた六行の文章が私に渡されたとしよう・・。

私はその中にその男を縛り首にするに足る何かを見つけるであろう。

‐[1585-1642] フランスの政治家・枢機卿アルマン・ジャン・デュ・プレシ・リシュリュー公爵の言葉‐

歌とは情をととのえる行為である。

言葉はその行為の印しである。

言葉は生活の産物であり、頭脳の反省による産物ではない。

‐[1902-83] 東京出身の昭和期の評論家・思想家 小林秀雄『言葉』より‐

「人間はいったい何をしているのか」被爆から61年を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。

1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被曝者が後障害に苦しんでいます。

生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。

しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。

10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。

6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。

核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。

‐[1946-2007] 四期目の選挙中暴力団の凶弾に倒れた長崎市長 伊藤一長 200689日長崎平和宣言‐

神様、私の声を聞いてください。

私の声は・・戦争で、原爆で、お父様を亡くした子供の声です。

主人を亡くした妻の声です。

お母様を失った子供の声です。

‐[1920-2005] ポーランド出身のローマ法王 ヨハネ・パウロ2世(本名:カロル・ユゼフ・ヴォイティワ)1981年2月広島訪問での日本語の演説‐

伏見で居た時分夏の事で暑いから一晩龍馬と二人でぶらぶら涼みがてら散歩へ出かけまして、段々夜も更けたから話もつきて帰って来る途中56人の新撰組と出会いました。

夜だからまさか坂本とは知らぬのでせうが、浪人と見れば何でも彼でも叩き斬ると云う奴らですから、故意私らに突き当たって喧嘩をしかけたのです。

すると龍馬はぷいと何処へ行ったか分からなくなったので、私は困ったがここぞ臍の据え時と思って、平気な風をして、あたら大きな声で「何ですねえ」と懐手で澄まして居ると浪人は「何処へ逃げたか」などと、ブツブツ怒りながら私には何もせず行き過ぎてしまいました。

私はほっと安心し、34丁行きますと、町の角で龍馬が立ち止まって待っていてくれましたかね、あなた私を置き去りにして「あんまり水臭いぢゃありませんか」と云うと、「いんにゃそういう訳ぢゃないがきゃつらに引っかかるとどうせ刀を抜かねば済まぬからそれが面倒で隠れたのだ。お前もこれ位の事はふだんから心得ているだろう」と云いました。

‐[1841-1906] 坂本龍馬の妻 おりょう(坂本龍子)の回想明治3211月(1899年)「土陽新聞記載(千里駒後日譚)」より‐

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