「自分がある」人は甘えをチェックでき、甘えに引きづられる人には自分がない。
-[1920-2009] 東京出身の精神科医 東京大学名誉教授 土居健郎1971年著『「甘え」の構造』より-
なんてこった!土居健郎さんが亡くなった!
バイカー修ちゃんの本棚には土居さんの『甘えの構造』や『甘えの周辺』が並んでいる。
バイカー修ちゃんは、自分が一人っ子のためか、どちらかというと「情けない性格」である。
小さい頃から泣き虫で、いじめられっ子で苦労したんだ。
田舎には特有の屈強な子どもっていたでしょう?
靴下もはかずズックのかかとをつぶして履いて、すぐにハダシになってグランドを走り回ったり、墓の併の上ををサルのように走りまわる子ども。
清潔さには無頓着で、泥だらけになっても平気な子。
アイスキャンデーを道に落としても「洗えば食べらるっさ!」と言って、水道の水で洗って食べる子ども。
バイカー修ちゃんはそうじゃなかったんだなあ。
ま、そういう子ども達と「平気そうな顔」をしてつきあってたんだけどね、内心はいやだったねえ。
まず、靴下が汚れるのがいや。服が汚れるのがいやだった。
両親が水商売で忙しかったので迷惑かけたくないってのもあったけど、僕自身がそうとうまわりから浮いていたってのこともあった。
なんといっても着てるものがまわりの子どもとぜんぜん違ってた。
アメリカの伯母が毎年送ってくれる大型トランクいっぱいのアメリカ製の服とおもちゃ。
なんといっても1970年頃の話だからね。ひざまでのショートパンツとプリントされたTシャツ、・・・そしてスニーカーを履いていた。
まわりの子は下着のランニングシャツだったりしてた。靴なんか、ウルトラマンかスーパージェッターのプリントがついたズックだったよね。
まわりの子どもは横丁の子店でおばあちゃんが焼いてくれる10円のお好み焼き(長崎ではこれをみんな「おてもやき」って言ってた)がごちそうだった。
小学生の僕は、皮製のショートブーツを履いて、母と戦前から続く長崎の由緒ある古いレストラン「銀嶺」に行き、すでに赤ワインの味もフィレステーキの味も知ってたけど、けっして友だちの前でそんなことを話したことはなかった。
エンジンで走るレーシングカーも持ってたし、長~いワイヤーがついてコントローラーのボタンを押すとローターが回って空を飛ぶヘリコプターも持ってた、・・・全部アメリカ製だった。
トランシーバーも持ってたし、とにかく仲間内じゃ羨望の的だった。
こんなだったので、クラスの子どもはみんなうちに遊びに来たがったのは仕方のないことだったと思うぞ。
でも、外でセミ取ったり、山の中へ行ったりするのが抵抗あったなあ。でも、当時は顔にはださなかったよ。それが子どものルールだったのさ。子どもらしく遊んでました。
それで薄暗くなるまで遊ぶと、「ハッ」と気付くのね。うちは両親とも水商売だからお仕事に行く前に家に帰らないといけなかったんだ。
もう、駆けに駆ける。どこかの家の庭は突っ切る。台所のある裏の路地を駆け抜ける。近道の崖を飛び降りる。
長崎の山の手は来たことある人ならわかるだろうけど、イタリアの路地裏なみの迷路だ。
夕食の煮物の香りがする・・。明るい家庭から笑い声がする。食器を並べる音がする。
みんな僕の鼻や耳を通り過ぎる。・・・・息を切らせて家に帰りつく。
綺麗な着物を着た母がいる。子どもながらに「綺麗だな」と思ったな。
当時はちょっと自慢だった。
「遅かったねぇ・・心配したよ・・」とちょっと困った顔をして、母は仕事に出かける。
父もスーパーカブに乗って出かける。
また、一人の夕食だ。
煮物の香りがする・・・・けど、さっき香った近所の家の煮物の香りとどこか違うんだ。
こんな子ども時代だった。だからよく母に甘えた。
僕の母は綺麗な人だった。残念ながら、僕は父に似ている。
『甘えの構造』を読んだのはいつだっただろう?大学時代だったかな?
読んで理解はしても、甘えた母はもういない。



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