人間は、時間的な存在である。
‐[1889-1976] ドイツの哲学者 マルティン・ハイデッガーの言葉‐
さて、前回の続きだね。
ハイデッガーの『存在と時間』を読んでみると、その難解さに舌をまいた人も多いと思う。(多くないか!?)
解説書なるものを読んでみても、さっぱり的を射てないように感じる。こういう哲学書を文章で理解しようと思うこと自体が無意味だと思うぞ。
肝心なのは、「人間は、時間を意識しないと生きられない」し、「いつか死ぬ、と思い知らなければ生きている実感も感じられない」動物だってことだ。
それなのに、「いつかは死ぬけど、まだ自分の番じゃない」って執行猶予で「今を」生きてる。
哲学ってのは、発想を跳躍させる頭の体操だと思ってる。それ以上でもそれ以下でもないとも。
物理学ってのは、ありもしないことを、さもあるかのように理屈をつける「錬金術」の延長なんだ。
でもこれも頭の体操なんだ。
世の中に「確定した事実」なんてありえない。それは100人いれば100通りの事実の集合体だ。
前置きが長くなったけど、すぐにネガティヴなコメントがくるからなんだね。
前回書いた、時間は「過去から未来」だけじゃなく、「未来から過去」への双方向だと思う。
っていうと、「非科学的」だって反論がくる。
やんなっちゃうなあ。僕は科学者や物理学者じゃないよ。発想は自由にさせてほしい。
非科学的だっていうあなた。じゃ、時間が過去から未来の一方通行だってことを証明してみてよ。
「現実がそうなっている」ってのは答えじゃないよ。
そりゃデカルトの「われ思う、故にわれ在り」ってのと同じ、循環論法だ。われわれが感じとれない現象はありすぎるほどある。
おそらく全盲のピアニスト、辻井伸行さんは、音を彼にしか理解できない方法で視覚化している。
人間は見えることで、じつは見えなくなっている部分もまた大きい動物なんだ。
時間という難解な概念だって、存在しているのかどうかも疑わしいもんだ。
これが未来から過去へも流れる「双方向」のものだと過程するだけでも、自分自身の行動が変わってくるでしょう?ここが大きなポイントだ。
物理的には「時間の双方向性」は証明されていない。おそらく今後もされないだろう。
でも、そう信じることで自分の行動の可能性が大きく拡がることは間違いないでしょう。
現在の宗教は、古典的宗教は教条主義的だし、新興宗教は怪しげだ。こんなに不信のうずまく社会の中で僕たちは「何かを信じて」生きていかなきゃならない。
自分自身の「立ち位置を決める」これが重要だ。そうしないとどこへもいけないじゃないか。
「立ち位置を明確」にし、過去を肯定し、その過去にはいやなこともいいこともあっただろう。ほとんどの人間にとって過去は思い出したくないものなんだ。
挫折と後悔の連続に違いない・・・しかし否定しちゃだめなんだ。逃げちゃだめなんだ。
それがあるから「今、ここ」での大事な出会いがある。
このブログを「今、ここ」読んでくれているたくさんの「声なき読者」だって、何かを感じてくれているんだろう。
「今、ここ」で出会ったことの意味づけで未来は左右されるんだ。
「この人は一生の出会いだ」と感性が響いた出会いと、何も感じない出会いでは、その後の運命は大きく違ってくるでしょう。
僕は人間が合理的に生きられない理由は、自分の感性が未来からの時間に左右されていると思っている。人間ってのは元々悲観的な動物だからね。
楽観的になるには、「未来はよくなる」って信じるしかない。
哲学や物理学を勝手に解釈する自由はあるでしょう?そんな「ありもしない錬金術程度」のシロモノを金科玉条のように扱う必要もないじゃん。
人間は自由なんだ。
でも・・・・自由って信じて生きていくのは大変なんだ。


何時かお会いした人サマ
バイカー修です。
ありがとうございます。
僕もそう信じています。
人間は生まれた時から本能を兼ね備えています。同時に欲を持って生まれてきます。これが無いと人間は生きていけません。
食欲が無いと食べないから死にますよね?人間、何か目標、希望を持って生きて行かねば、人生はその通りにはなりません。
そこで人は一生懸命努力を継続します。
夢は思うだけ、希望は叶える為にあります。
そこに人としての正しい判断基準を持っているかが重要です。
判断基準は人として何が正しいか、です。それが哲学です。
何を信じるかは自由です。それは正しい判断基準を持って接しているか、考えているか、信じているかで変わって来るのではないでしょうか?修さんの言われるように自由でいるのは大変です。
くまさん、長崎はなんと!!晴れてます!
今日、P4Uさんが来るんだ~。
晴れてよかったよ。
まずは、長崎空港から遠藤周作記念館に行く予定なんだ。
僕の時間観念や歴史についてのコメントありがとう。
自分なりの認識もつって大事だと思うんだ。
迷信だってね。長年言い伝えられているってことはなにかがあるんだよ。だって飯田は、民俗学者の柳田國男さんの古里でしょ?
たしかに今の「科学的常識」ってまちがいなく100年たったらトンデモ話になっていると思います。
おはようございます!!長野は朝からひどい雨降りです
私は修ちゃんの時間概念や歴史観の話題 好きです。
よくわから~ん???・・・でも、それをきっかけに「考える時間」が持てるんですよねー。(脳の普段使っていない部分に血が流れる感じですね)
いつの時代も人は ほかの時代の人が聞いたら笑っちゃうような何かの迷信に支配されてその中で生きていると思うんです。況や今の科学至上主義の世の中をや。(使い方合ってますか?P4Uさん)