本来「よく見る」ことは自分の主観と徹底的に向き合うことで、どんな人もそうしているはずなのに、見たこと感じたことを無理に情報化=客観化しようとする。
-[1937-]神奈川県出身の解剖学者 養老孟司の言葉-
今日の一言には、その後が続く。
「あまりにも情報化を進めてしまうと、人は「混同」を起こし、「客観性」の幻想に捕らわれ、後に残るのは一見柔らかそうでも中身はガチガチの頭、ということになる」となる。
今の日本人がそう思えてならないんだ。
世の中でいちばん難しくて、そしてやさしいもののひとつに「デザイン」がある。
イタリアの会社はこのデザインにいちばんコストをかけるといい、日本の会社はこれにいちばんコストをかけないらしい。
そのかわり、自動車やバイクならエンジンや走行性能向上にはコストをかける。
イタリアの会社はここらへんは一旦つくったエンジンや車体をながくアップグレードですませる。
当然、日本製の方が大方優れている。
しかし、それが愛されるモノになるかというと、そうでもないところが問題だと思うぞ。
少数の人間の、ことによると不条理な思い入れが伝わる、不可思議なモノ。
人間ってこういうものに愛情を感じるから不思議だ。
バイカー修ちゃん、“BVLGARI”ってブランドのネクタイを持っている。
このネクタイ、重くて、結びにくくて、デリケートで汚れやすくて気を使う。
しかし・・美しいのである。
素晴らしい発色と見るからに「私は人と違うのよオーラ」が漂っているのである。
それで特別なときにしかしないようにしてる。
これを贈ってくれた人の人柄までに感心をしてしまうものである。
「美しい」という一点にすべてを集中してこのネクタイは創られている。当然・・付加価値同様・・高い。
これを現代日本的感覚でつくったらどうなるだろう?
軽くて、結びやすくて、安っぽくは見えない「バーバリー的」なデザインと、天然素材風な化繊織りで一本千円という安い価格!おまけに洗濯機でOK!素晴らしいでしょう!ってなもんだな。
価値観が違う。でもね、日本はもともと「美」を重んじる文化の国だ。
こんな「安上がりで一丁あがり~!」てなものは、大量生産大量消費の弊害だろうな。
こんなこと書くと、「庶民の生活を理解していない!」ってクレームコメントが必ずくる。
そんな低次元なことで論争したくないから、そんなクレームださないでね。
今からは、ココだけはゆずれない!っていう本来の日本の文化を大事にすべきだろう。
それはね、社員やその家族っていう人間重視の風土だろうな。
残念ながら「グローバル病」におかされた今の大企業にはこれはできないようだ。
ならば、中小企業こそこれを守ろうじゃないですか。
イタリアって国は、中小企業はこうあらねばならないということを教えてくれる。
だって、「デザイン」は人がするんだ。デザイン=人件費だ。
イタリアにできて日本にできないはずはない。どっちも中小企業の国だもの。



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