ミラン・クンデラ

車やオートバイといったスピードをもたらす機械は、技術革新が人間に贈った忘我の形式だ・・・。
-[1929-] チェコの作家 ミラン・クンデラ 1995年作品「(ゆる)やかさ」より-

ミラン・クンデラはバイカー修ちゃん何度も紹介してますよ。
チェコ出身だけど、とうのムカシに国を捨てていまじゃフランスに住んでるんだ。
顔は若かりし頃のオーソン・ウェルズかいまどきの俳優だとレオナルド・ディカプリオに似てるかな。
代表作は「存在の耐えられない軽さ」だろう。ダニエル・デイ・ルイス主演で映画にもなったね。
「プラハの春」時代のチェコという非人間的な社会主義の中でくりひろげられる奔放(ほんぽう)な愛とその挫折。
いまの日本を象徴するような「軽い」主人公トマーシュ。
この物語のストーリーを紹介することに意味はない。それはあらすじにすると単なる恋愛小説だから。
でもこの人の真骨頂はその文体だ。「重荷が全く欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地球の存在から遠ざかり、半ば現実実感を失い、その動きは自由であると同時に無意味になる」なんてすばらしい表現だ。
バイカー修ちゃんはまいってしまったのでした。
話はかわるが先週の日曜日に久々、3時間くらい愛車のバイクの一台、1982年型「DUCATI MHR900マイクヘイルウッドレプリカ」に乗った。
僕のドカはたぶんため息がでるくらい美しい状態を保っているマシンだ。
強烈な前傾姿勢。重いキック始動しかできないスパルタンで真っ赤なイタリアのバイクだ。
このマシンはとにかく疲れるんだ。
世界一美しいとよく言われるが、まさに「愛人」タイプの代表バイクだね。
美しいけど、いっしょにいると疲れる。
でもこの3時間のライディングは恍惚感なんだね。暑いなんて関係ない。
このときの気持ちを最高に表現したのがクンデラの今日の一言だ。
「技術革新が人間に贈った忘我の形式」・・か。うまいこと言うなあ。

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