法は 鍋のさかやき石の髭 絵に描く竹のともずれののこゑ
-[1394-1481] 室町時代の臨済宗禅僧 一休宗純の和歌-
面白い和歌でしょう?一休さんの歌です。いろいろ訳詩はあるんですが、バイカー修ちゃんが勝手に主観をこめて訳しますね。
「仏法とは、鍋の月代(さかやき:あのチョンマゲのとっぺんの青々と剃った部分ね。)石のヒゲのように、実際にはありもしない、目に見えぬもの。絵に描く竹のともずれの音のように実際は聞こえぬもの。見えぬ聞こえぬしかし、そこに深く存在するもの。石仏にもヒゲがあるように感じ、屏風の絵にも音がある。実存の影に、真の存在があるのだ。」
深い深い歌です。一節によると、おごりたかぶった者への戒めの歌だという。人間はおごりたかぶり、勝手な解釈で、繁栄を手に入れた。その繁栄は「カネ」という目に見える紙切れでしか受け取れない。
目に余る勝手な解釈で法律はねじまげられ、善意の代議士であるはずの政治家は、家業とかして、言葉あそびとイス取りゲームにうつつをぬかし、働いている「フリ」をしている。
宗教家はカネ集めにまい進し、「徳」という字を「得」にかえ、「慈善」という字を「偽善」にかえてる。
でも声無き善意の人はたくさんいるはず。「絵に描く竹のともずれののこゑ」は僕らのすぐそばから聞こえているのかもしれない。それが聞こえない僕ら自身が「鍋のさかやき石の髭」なのかもしれない。



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