2008年02月29日
小林秀雄
刻々と考え、決心するわれわれの意識は、後になって、やむを得ず歴史の衣をまとうだろうが、今はただ前に向いた意志だけであろう。
-[1902-83] 東京出身の昭和期の評論家・思想家 小林秀雄『歴史』より-
この文章にはうなったねえ。バイカー修ちゃんは小林秀雄さんを尊敬している。つい最近も無性に読みたくなって、文庫本を3冊くらい読んだばかりだ。小林秀雄さんはおもしろいことを言っている。歴史でやっちゃいけないことに二つある。ひとつは、「大衆小説的歴史観」だね。つまり大河ドラマ的歴史だろうな。それはそれでおもしろいけど、みんなが知ってる「坂本竜馬」は司馬遼太郎さんの創作だ。あれは実在の人物の名を借りた「創作ドラマ」だよね。次に、「考古学的歴史観」だね。考古学のように、証拠品を集めて検証するようなやり方だね。ここには「人間」がいない。この二つはよく陥りやすい歴史観なんだそうだ。確かにそうだよね。豊臣秀吉がギャグを飛ばす「サル」のような男ではなかったろうし、われわれには想像もつかない、とても役者なんかが演じることのできるような薄っぺらい人物であろうはずもない。それを言い表したのが今日の一言だと思うなあ。なんか大衆小説的歴史観の代表作家、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」あとがき「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」に似ているなあ。時代の当事者には「歴史人」の意識はないだろう。せいいっぱい「今」を生き抜いているだけだろう。われわれ読者は「あーあ、大阪城が燃えてもったいないないなあ」って城を「文化財」だと思ってるけど、当時の人たちにとって城は「要塞」だった。バイカー修ちゃんにとっては「零戦」も「歴史文化財」だと思ってるんだけど、まだ反戦論者にとっては「兵器」らしい。一口に歴史っていうけど、歴史の概念って人によってこうも違うんだね。
- by 社長ブログ・バイカー修ちゃん
- at 11:33
コメント