勇気と希望を一瞬にして失う事がどれほど致命的な事か・・・この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年の間の週に、かつてないほど大量の死者を出した。これは医長の見解によると、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食糧事情からも、季節の変化からも、あるいは新たに広まった伝染性の疾患からも説明がつかない。むしろこの大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる、というのだ。それによって一般的な落胆と失望に打ちひしがれたのであり、それが抵抗力に及ぼす危険な作用が、この時期の大量死となってあらわれたのだ。強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的を持たせなければならなかった。生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在する事の意味をなくすと共に、頑張りぬく意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのようなひとびとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。
-[1905-] ユダヤ系オーストリア人の実存主義的心理学者 ヴィクトール・エミル・フランクル著 「夜と霧」霜山徳繭訳より
クリスマスのブログはまあ、例外なくハッピーな内容が多いよね。でもバイカー修ちゃんは違うのだ。クリスマスがいかに希望の日であるかってのを逆説的に語るフランクルのドキュメントでこれを真剣に考えよう。浮かれるのはそのあとでもいい。知らない人のために説明すると、こりゃナチスのアウシュビッツに入れられた医者のフランクル自身の体験だ。残念ながら彼の家族は亡くなってしまった。あの忌まわしいガス室で。明日は自分の番かもしれない彼らは、ゴルゴダのイエズスの再来だ。このさいユダヤ人がイエズスを認めるかどうかってのは別にしてね。「希望」が生きるうえでいかに大切かをフランクルの実体験は教えてくれる。極限も見たこともない口先だけのインテリが「方法論」だの「プロセス」だの「システム」なるものがあればすべてはうまくいくなんていいだすのだ。人間にとってもっとも大切なのは「尊厳」だろう。ナチスのようにわかりやすく破壊されなくとも、無関心という中でもそれは破壊されていく。昨今の異常な事件はそれを象徴するような出来事だね。2007年は・・・あまりよいことがない年だったように思うぞ。でもまあいいか!メリークリスマス!!



お気に入り・リンク