2007年11月14日

濱田勤吾(はまだきんご)

二葉より 手くれ水くれ待つ花は 君が為にぞ咲けやこの時
-[1853-68] 戊辰戦争で戦死した大村藩の15歳の少年鼓手 濱田勤吾重俊(しげとし)の襟に母チカが縫い付けた和歌-

濱田勤吾って知っていますか?彼は今は長崎県である「大村藩」の少年武士で、明治元年に幕府軍と官軍との戦争である戊辰戦争(ぼしんせんそう)に第二番隊鼓手として若干15歳で参戦したんだ。そう大村藩は薩長についた官軍なんだ。遠く秋田県の角館(かくのだて:今の仙北市だね)に出陣した。鼓手ってのは、軍の先頭に立って太鼓を打ち鳴らし、部隊があらぬ方向に行かぬように目印となる大事な役だ。だから狙われる。生まれ故郷の大村市には城跡の「玖島城跡」にひっそりと銅像が建っている。角館には勤吾少年の立ち姿の写真が残されている。まだあどけない少年だ。持ってる刀と比べても大柄じゃない。でも15歳といえば当事は元服。立派な大人なんだ。大村藩部隊は刈和野の戦いで辛くも勝利するが、勤吾少年は戦場で2発も撃たれ壮絶な死をとげた。明るくて地元の人にも可愛がられてたらしい。彼の遺体が運ばれて地元の人たちがその襟(えり)に縫いこまれた母チカの手書きの和歌をみつけた・・。「二葉より 手くれ水くれ待つ花は 君が為にぞ咲けやこの時」勤吾はやっと生まれた男の子だった。だれが戦場にやりたいと思う親がいるだろうか?「生まれてから大事に育てたこの花を、このときこそがんばりなされ」地元の人たちはこの親心に号泣したと伝えられている。バイカー修ちゃんには「無事で帰ってきておくれ!」って書いてあるように見える。たった15年の人生。勤吾少年は立派に自分の人生をまっとうしたんだ。地元のテレビ局でこの3年前に濱田勤吾の番組がつくられた。現代の中学生が濱田勤吾の銅像を見て彼の人生をたどるという設定だった。演じたのはバイカー修ちゃんの息子、船橋嘉一(かいち)でした。

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コメント

ZZRさん、いらっしゃい!
土佐はもう慣れましたか?バイカー修は今度、長崎の中小公庫の会で講演です。
人間は「忘れる」ことで自己を守っているそうです。よくできていますよねえ。
もう子どもさんも大きく可愛くなったでしょう?
僕らの子たちは謹吾のように若死にさせたくはないですよね。

  • バイカー修
  • 2007年11月15日 05:49

こんばんは。

個人的には歴史は苦手なのですが、
天草四郎と同じで、濱田勤吾も
短い命を一生懸命生きたのですね。

明日死ぬかもしれないといった状況に
置かれた人ほど、今日という一日を
一生懸命生きようとするんでしょうか。

自分がそういう状況に置かれたくは
ないとしても、今日という一日、今と
いう瞬間を一生懸命生きようとすれば、
肉体的にきつくても、精神的には
満足していられるのかもです。
悔いのない人生を送ってるってことで。

私も今のところ、悔いのない人生を
過ごせてる気がします(嫌なことは
忘れてしまってるだけなのかも・・・)。

  • ZZR
  • 2007年11月15日 00:34

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