朝礼ネタ・スピーチに名言コラム~バイカー修ちゃん・今日の一言: 2007年11月アーカイブ

2007年11月

田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける
-[生没不詳] 奈良時代初期の歌人。三十六歌仙 山部赤人「新古今集」巻六・冬「小倉百人一首」四和歌-

常に「サムライ」たる乃木希典のような軍人になるのだ。
-[1880-1964] 米国の陸軍軍人 ダグラス・マッカーサーの父アーサーがダグラスを諭した言葉-

大きな仕事よりも、寧(むし)ろ人格によって、その辞世に非常な貢献をする人物が三十年に一度か、六十年に一度位、出現することがある。
-[1878-1912] ロンドン・タイムズ」の記者スタンレー・ウォシュバン著『乃木大将と日本人』より-

意識する存在にとって「生存」するということは変化することであり、「変化」するということは経験を積むことであり、「経験」を積むということは無限に己自身を創造していくことに他ならない。
-[1859-1941] フランスのユダヤ人哲学者 アンリ=ルイ・ベルクソン「創造的進化」より-

うつ志(し)世を 神去りましゝ大君乃 みあと志たひて我はゆくなり
-[1849-1912] 江戸出身の明治の軍人 乃木希典 明治天皇の崩御(ほうぎょ)を追って妻静子と自害。辞世の和歌-

カサブランカ

「十年前、君はなにをしていたんだ?」「歯列矯正をしていたわ・・あなたは?」「職をさがしていたよ。」
-1942年米国映画「カサブランカ」でのリック(ハンフリー・ボガート)とイルザ(イングリッド・バーグマン)の台詞-

来た、見た、勝った
-[BC100-BC44]  ローマに反逆したポントス王との戦いに勝ったカエサルが、元老院に送った戦果報告-

賽(さい)は投げられた。
-[BC100-BC44] ローマ帝国皇帝 ガイウス・ユリウス・カエサルがルビコン河を渡ったときの言葉-

私は、自分の障害を神に感謝しています。なぜならば、私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。
-[1880-1968] 米国三重苦の聖女 社会福祉活動家 ヘレン・アダムス・ケラーの言葉-

「ブランド」とは関係する様々な人たちに対する『約束』だ。

-[1954-] 米国HP(ヒューレット・パッカード)元会長兼CEO キャラ・カールトン・フィオリーナの言葉-

永倉新八

四か条の禁令

一、士道に背くこと

二、局を脱すること

三、勝手に金策を致すこと

四、勝手に訴訟を取り扱うこと

この四か条を背くときは、切腹を申しつくること。
-[1839-1915] 新選組二番隊隊長 永倉新八の手記『新選組顛末記』より-

伊東マンショ

所作を知らぬための羞恥と婦人に対する畏敬の念でとても困惑しました。

しかし、このような公式の場での振る舞いは、野暮に見えないよう大胆に構えてあえて敢行する他はなかったのです。
-[1569-1612] 天正遣欧少年使節 正使 日向国主伊東義祐の娘と伊東祐青との子。大友宗鱗の縁者。伊東 マンショ (伊東祐益)の言葉 エドヴァルド・デ・サンデ著「天正遣欧使節記」より-

二葉より 手くれ水くれ待つ花は 君が為にぞ咲けやこの時
-[1853-68] 戊辰戦争で戦死した大村藩の15歳の少年鼓手 濱田勤吾重俊の襟に母チカが縫い付けた和歌-

伊達政宗

曇りなき 心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く
-[1567-1636] 安土桃山~江戸初期の大名 伊達政宗の辞世の和歌-

司馬遼太郎

最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうと思っている。

楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前のみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
-[1923-1996] 司馬遼太郎「坂の上の雲」あとがきより-

島津義弘

新興諸侯の虚栄をみて これをうらやみ 他国の風(ふう)を模するの日に至らば 我が薩州は変じて 弱国となるべし
-[1535-1619] 戦国武将薩摩第17代当主 島津義弘の言葉より-

与謝野晶子

ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ。 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも、親は刃をにぎらせて、人を殺せとおしえしや、 人を殺して死ねよとて、二十四までを育てしや。
-[1878-1942] 歌人 明星 明治37年9月号(1904年)与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」より-

夏目漱石

吾輩は猫ながら時々考えることがある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生まれたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでもできぬことはないと。それでも主人に言わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友だちが来るたびになんとかかんとか不平を鳴らしている。
-[1867-1916] 小説家 明治38年10月6日初版(1905年)夏目漱石「我が輩は猫である」より-

夏目漱石

日本は30年前に覚めたりという。然(しか)れども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。狼狽しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。日本は真に目が醒めねばだめだ。
-[1867-1916] 小説家 明治34年3月16日(1901年)夏目漱石の日記-

意味を求めたってはじまらないよ。人生は欲望だ。意味などどうでもいい。
-[1889-1977] 英国の喜劇王チャールズ・スペンサー・チャップリンJr「ライムライト」より-

「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」 と父は言うのである。「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」
-[1896-1940] 米国の小説家 F・スコット・フィッツジェラルド1925年作「華麗なるギャツビー」より-

ひとがわらたり友だちがなくてもきげんをわりくしないでください。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。
-[1927-] 米国の小説家 ダニエル・キイス1959年作、66年長編作「アルジャーノンに花束を」より-

月別 アーカイブ

携帯サイト

QRコード

Twitter

バイカー修ツイッター

facebook

九州教具facebookページ

最近のコメント