2007年10月18日
山本周五郎
人生は教訓に満ちている。しかし万人にあてはまる教訓は一つもない、殺すな、盗むなという原則でさえ絶対ではないのだ。
-[1903-67] 小説家 山本周五郎 「赤ひげ診療譚〜駆込み訴え〜」より-
バイカー修ちゃんは山本周五郎が大好きです。その中でもこの「赤ひげ診療譚」は特筆ものだと思っている。この話をはじめて知ったのはじつは黒澤明監督の映画「赤ひげ」です。バイカー修ちゃんは黒澤の映画でもっとも好きなのがこの「赤ひげ」です。その次が「どん底」これはロシアのゴーリキー原作ですね。そして三番目が「七人の侍」です。高校生の頃、学校をサボって見に行ったこの「赤ひげ」ですが、学校サボって見る価値のあった映画だと思うぞ。このセリフは映画にも出てくる。原作にまさる映画はほとんどない。それは時間の制約で原作ほどには描けない宿命が映画にあるからだ。また映像は文字には勝てない。でもこの映画は杞憂な例だろう。山本周五郎を読んでいると、キリスト教的なものを感じるときがある。「人を裁くのは、罪を知らぬ人間だ。罪を知る人間は、決して人を裁かない」というセリフがある。これはマグダラのマリア(であろう)姦淫をした女が石打ちの刑で殺されようとしたときにイエスが言った「罪なきもの、まず石投げ打て」つまり、罪のないものから石を投げなさい。に通じる。結果、手に持った石を捨てみな立ち去った・・。今はどうだろう?人の罪を声をあげて言いたて、自分の不幸を嘆き、社会のせいにする。「赤ひげ」の中に出てくるエピソードはほとんど現代でも起こっている話のオムニバスだ。しかし、現代での話の終わりはまったく違ったものになるだろう。心を切り売りしてわずかな金を手にするわれわれは岡場所で身をひさぐ女性以下かもしれない。
- by 九州教具(株)
- at 08:56
コメント
くまさん、おはよう!
見ましたか!「赤ひげ」いい映画だったでしょう?原作にあれほど忠実な映画も珍しいよ。
設定が違うのは「むじな長屋」の話で佐八(山崎努)の不幸が始まる大地震がくるところがあったでしょう?
あれが原作では大火事なんです。たぶん映像上の設定変更だと思うけど、すごいシーンだったよね。CGなんてない時代ですから。
ぜひ原作もおすすめしますよ。損しないから!
怪しげな霊能者の本なんかよりずっと救いになると思うぞ。
こんばんは、修ちゃん!
映画「赤ひげ」のビデオを週末にレンタルして観ました。涙涙でした。
修ちゃんはこれを高校生の頃に観たんですかー。その時はどんな印象だったのかなぁ。
高校生の私だったら、きっと安本青年と一緒に知恵熱を出していたなぁ。
「・・殺すな、盗むなという原則でさえ絶対ではないのだ」なんて・・・。
人生何事にも、”たった一つの正解”なんて有りえないんだって事をを知らなかった頃ですから。
物事はいわゆる”正しさ”だけでは量れないんだよね。
赤ひげの清濁併せ呑む強さと優しさは、甘さのかけらも無い 究極の暖かさですね。
暗闇からこちらをじっと見据えるおとよの眼に、私の上辺だけの優しさ、甘さが見透かされているようで痛かったです。
Roslynさん、はじめまして!
バイカー修です。秋の夜長に「バイカー修ちゃん今日の一言」に来てくれてありがとう。
本当に嬉しいです。誰かがこれを見てくれているって思うことが書き続けるエネルギーになるんですよ。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ」って僕も同感ですよ。そう思ってなきゃ生きていけないもんね。
僕もこのブログを書いていることで辛かった思い出を笑い話に変えていこうと思っているんですよ。
Roslynさんもたまにカキコしてくださいな。お話しましょうよ。
ありがとうございました。
今晩は、秋の夜長に静かなJazzを聴きながら、書いています。はじめまして、Roslynです。
私の座右の銘は、何のかっこいい言葉も使いません。いたって、平凡。「人生楽ありゃ、苦もあるさ」
山本周五郎さんの言葉、まさしくそうですよね。人間、遭遇した様々な出来事、一つ一つ違います。しかし、それを共有することで、一人一人の教訓となり、人間という器が大きくなってくるのではないでしょうか?人と人、コミュニケーションは欠かしたら駄目ですね。みんなが体験した楽しかった事も辛かった事もワンステップとして受け止め、人生という階段を登って行きたいものです。
私の戒めに何か通ずるものがありましたので、カキコ致しました。