死して不朽(ふきゅう)の見込みあらば、いつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらば、いつまでも生くべし。
-[1830-1859] 萩藩出身の幕末の指導者 吉田松陰 晋作の質問「男子いかなる時に死すべきか」に答えて-
これ松蔭が死の間際に高杉晋作と手紙のやりとりの中で言っていることなんですね。
松蔭の死生観でしょう。29歳ですよ!29歳。
生きることを考えるということは死ぬことを考えるということでしょう。すぐに死ねとは言っていない。
大きな目標・ビジョン(大業)を達成することが目的だ。それを達成するための手段(プロセス)として死ぬべきは死に、生きるべきは生きよ・・と。
現代人はこういう考え方ができない。だって「生きる」ことが目的化してるから。
「何のために生きるのか」っていうことがスッポリと抜け落ちてる。
子どもの頃は「死んでお詫びする」って言葉も生きていたような気がする。
「生きる」ことを目的化したら動物といっしょでしょう?
「何のために生きるのか」っていう悩みこそ人間にしかできないことでしょう?
ライオンはシマウマを殺すとき「無常じゃのう・・許せ」などとは考えないでしょう?
であれば現代人は「退化」しているのかもしれない。
無宗教、ゲーム、刹那主義、だんだん個人化して他人との一体感はない。
他人を大事にしないことは自分を大事にしないことだ。
生活に他人はいらない。ゆえに自分もいらない。簡単に他人を殺し、また自分も殺す。
目に見えないものの価値を理解できないし、教えるプロセスもない。
ゆえに必要なのは「カネ」になっちゃう。
目に見えるものは一応買えるから。「学校でおカネの大事さを教えろ」なんて親や評論家まででてくる。そりゃ違うでしょう?
「おカネ以外にもっと大事なものがある」ことを教えるのが教育だと思うぞ。
「それはなんですか?」「それを考えるのが学問じゃ」・・なんて松蔭の声が聞こえる。
目的の大事さを教えない今の社会は偽善だ。
学校は「手段」を教える前に「目的」の大事さを教えなきゃいけないと思うぞ。
まあ学校も目的を失くしているからそりゃ無理か・・。



お気に入り・リンク