われわれは親友の不幸のなかに、なんとなしにいやではない、「あるもの」をつねに感じる。
-[1613-80] フランスの政治家・思想家 フランソワ・ラ・ロシュフーコーの言葉-
この名言、書こうかどうしようか迷ったんです。でもこれを読んだときハッとする「なにか」があるんです。「あるもの」ってなんなのでしょう?人間は誰しも幸せになりたいと願っている・・はずなのに、なぜ人の不幸に「なんとなしにいやではない」「あるもの」を感じるんでしょうか?でも誰しもこれは感じるところだと思うぞ。不安がよぎる日々、「幸せ」は相対的な感覚かもしれない。「幸せ」とは思えなくとも、「不幸ではない」と思いたい。そう思うには対象が必要だ。あの人よりもまだましだ・・ってね。心の中に「いけにえ」を求めてる。怖いなあ。そのいけにえは不幸であればあるほど、心に安堵感を感じる人は多分いるんだろう。そんな人間がつくった社会や国家も同じようなことをやっちゃう。タクシーママのブログを見てほしい。
http://www.kosodate-taxi.jp/2007/07/1945.html
「被爆した幼子を背負う長崎の少年-1945年」人間のエゴと醜さを一身に背負った少年がそこにいる。歴史のいけにえだ。こんな行為を正当化する国家もあれば、だんまりを決め込む国家もある。心の中で「あるもの」を感じている近隣の国家もあるだろう。しかし、「少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。」アメリカ軍の報道写真家ジョー・オダネルは書いています。エゴのいけにえとなったこんな小さな少年に神はなにをたくすんでしょうか?バイカー修ちゃんのホテルでは、昨年から社員さんのアイデアで「長崎の地から平和を祈る・・千羽鶴企画2007」を行ってます。
http://www.hotel-cuore.com/tsuru/index.html
たくさんの方が鶴に思いをこめて折ってくださいます。あの日を忘れないという儀式だと思います。「あるもの」を感じる自分からのがれることはできない。しかし、そうではない自分もいるんだということも知っておきたい。難しいですね。



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