欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、無欲な人物まで演じてみせる。
-[1613-80] フランスの政治家・思想家 フランソワ・ラ・ロシュフーコー「箴言39」より-
ラ・ロシュフーコーの箴言(しんげん)にはいつもはっとさせられる。欲が無欲の人間を演じさせるなんてものすごい洞察(どうさつ)だけど、聞いたときにどきっとするのは誰しも自分自身にそういう闇があるのを知っているからだと思うぞ。僕らは心の奥でつねに欲望と戦っている。その欲望はとどまるところをしらない。この欲望が人類をサルから人間に進化させ、地球の覇者(はしゃ)にした。寿命すら3倍ほどのばし、何でも食べつくし、何でも壊し、何でも殺す。全能の知恵を手に入れるために捨てたのは身体の毛皮と四本足で歩く動物らしさかな。毛皮がないということは「何か」を犠牲にして自分の毛皮の代わりが必要だってことだし、二歩足であるくというのは、つねにバランスをとっておかなくちゃ倒れていちばん大事な脳を壊しちゃう危険があるってことだ。こんなリスクを背負って人間は「知恵」を手に入れた。旧約聖書には、エヴァが蛇から「知恵の木の実」を食べるようそそのかされ、とうとう食べてしまう逸話があるが、すばらしい比喩(ひゆ)だと思う。5000年も前から、「知恵」のすばらしさと恐ろしさに人間は気づいていたんだ。そのエネルギーの源は「欲望」だってことを。宗教は長らくこの「欲望」の重しだった。しかし今、宗教の重しを人間ははずそうとし、欲望を隠さないようになってきた。「知恵の木の実」の副作用は、知恵を手に入れ、まるで自分が神になったような錯覚を持ってしまうことだろう。こんな恐ろしいことはないと思うぞ。


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