三つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいだろう。実際、これらのものは心の内にいわば三つのものとして存在し、心以外に私はそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は「記憶」であり、現在のものの現在は「直感」であり、未来のものの現在は「期待」である。
-[354-430] 西方教会最大の教父 聖アウグスティヌス「告白」より-
ここで聖アウグスティヌスとはどのような人かを話すほどバイカー修ちゃんは彼とキリスト教には詳しくない。でもキリスト教には大変興味あるけど。彼は2000年近くも前の人だけど、大変な知識と教養を持っていた人なのは知っている。時間ってわかっているようでまるでわかっていないものだと思うぞ。だって不思議だとおもわない?なぜ、過去から未来へ一方的に流れるんだろう?また「時間」とは、われわれの脳が感じるだけで、本当に存在するのかどうかも怪しいもんだ。たぶん、われわれが思っている「時間」はこの全宇宙に普遍的に流れていると思っているけど、ここからもう怪しいと思うぞ。全てのもの、動物の一生の感覚時間は同じだっていうからね。一年で死んじゃう昆虫もいれば、1000年生きる木だってある。地球にいたっては50億年も生きている(本当かどうかはだれも知らないけど)これらの一生の感覚時間が同じだとすると、時間とはその脳内(植物の場合はそれに類するもの)感覚で決まってくることになる。つまり、人間は1秒を「セシウム133原子の基底状態の二つの超微細エネルギー準位の間の遷移(せんい)に対応する放射の91億9263万1770周期の継続時間」って決めているけど、こんなものなんの意味もないってことだ。時間とは科学的なものというより哲学的なものかもしれない。その意味で科学万能病におちいった現代人は、時間の感性を謝り、時間でストレスをため込む状態になったのかもしれないな。



お気に入り・リンク