昨日なし 明日またしらぬ人はただ 今日のうちこそ命なりけれ
-[1519-60] 駿府出身の戦国武将 今川義元の和歌-
「海道一の弓取り」これが義元の通称です。
でもこの人、あまりに可哀想なキャラなんですよね。
どうしても「桶狭間(おけはざま)で信長に討ち取られた武将」って強烈な信長引立て役なんだよね。
おまけに「胴長短足」で馬に乗れず、輿(こし)に乗って移動してたからやられた・・とか、公家かぶれで白粉(おしろい)塗ってお歯黒(はぐろ)まで塗ってたとか。
お歯黒ってわかるかな?昔は既婚者は歯を真っ黒に塗ってたんだ。
今見ると怖~いってカンジだけど。
このいわゆる「バカ型キャラ」が定着してしまってる可哀想な武将だ。
でもね、そんなことないと思うぞ。そんな短足で馬に乗れないなんてこりゃ怪しい。
太田牛一の「信長公記」でも桶狭間でちゃんと馬に乗って戦っている。
それにそんなバカキャラをあのなんでもありの武田信玄がいかに義理の兄でも襲わなかったはずがない。
やはり「海道一の弓取り」だけあって天下にもっとも近かった武将なんですよ。
ちなみに義元は「宗左文字(そうざんもんじ)」という名太刀を持っていた。
これは信玄の父信虎が娘を義元に嫁がせるとき持たせた太刀(たち)で義元のお気に入りだった。
これを桶狭間で信長が戦利品にし、刷(す)り上げて短くし太刀から刀にこしらえなおした。
そのとき「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長」と刻印を入れたんだ。
これが後に秀吉のものとなり、息子秀頼にうつり、結局家康の所持するところとなった。
天下を取った武将が代々持った数奇な名刀なんだ。
今でも・・当然残っており重要文化財だ。
義元が単なるバカキャラならそうはなっていないと思うんだ。
恐らく存在感のある恐れられた武将だったろう。
だからこそ桶狭間の戦の意味が大きいんだと思うぞ。



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