現代の貧困は、キリストが「山上の説教」の中で祝福したような貧困ではない。
-[1856-1950] 英国の劇作家 ジョージ・バーナード・ショーの言葉-
うーん、今回のバーナード・ショーの提示するテーマは重い。これは解釈の方法がたくさんあるよなあ。まず「貧しい」という定義が問題だ。みなが貧しければそれがイコール・コンディションなので相対的にはあまり貧しさを感じないということもあるだろう。そういう場所を確かに見たことがある。10数年前、タイの北部の貧しい孤児院に行った。孤児が3000人もいる寺院で、そこにボランティアで行ったんだ。6回くらい行ったなあ。なんせ3000人だ。みんな食べはできるが自分のものはなにももっていない。寄付や寺院のお世話や各国からくるボランティアで生活していた。でもみんな「笑顔」が素晴らしいんだ。寮の玄関にみんなの靴やサンダルがものの見事に一直線に整然と並んでいる光景はそれだけで感動した。仏教の教えが浸透し、朝、孤児院の小学校へ行く行列に遭遇すると、「サワディーカー」(こんにちは)と祈るように手を合わせひざまづくこの可愛い子供たちを捨てなきゃならない世の中の貧しさに怒りを感じた。食べ物を与えても決して「自分のもの」にしない。みんなで分けて、年長者は小さい子をおんぶして見事な秩序をなしていた。イコール・コンディションだから皆共有できるんだろう。でもこの子らは中学生になるとこの「温室」をでて厳しい世の中にでなきゃならないんだ。悪人や子供を食い物にする「善人の顔したひとでなし」がたくさんいる社会へ・・。ここからが人の悪意という心の貧困の現実が待っているんだ・・。でも、すくなくともあのワット・サーキヤオの子供たちの笑顔は日本人の子供が忘れてしまった「笑顔」だったことはまちがいない。



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