2007年03月26日
マックス・ウェーバー
国家とはある一定の領域の内部で、この「領域」という点が特徴なのだが、正当な物理的暴力行使の独占を(実行的に)要求する人間共同体である。
-[1864-1920] ドイツの社会科学者 マックス・ウェーバー講演「職業としての政治」より-
国家とは「戦争」を要求する人間の集まり?って解釈もあるのか。難しくてセンシティヴな意味合いだからこんなことでコメントは控えよう。でもそう考えている国が多いのはまちがいないと思うぞ。人間の集合体である国家は共存というタテマエの行動には消極的で(国連みたいな)闘争というホンネの行動には積極的に見える。破壊のために莫大な投資をして、そのおこぼれに平和利用がある。人口も60億を超えている。40年ほど前は25億くらいだった。まさに人口爆発だね。50億年もかかってできた化石燃料をたった200年で食いつぶそうとしているんだ。このままいくと神の見えざる手で人間の数は激減することになるような気がするのはバイカー修ちゃんだけではないだろうなあ。人間っておろかだから「ひとつにまとまる」なんて宇宙人でも攻めてこないかぎり無理なようにも思える。お金さえあればその人の人格がどうであれ贅沢三昧の生活ができるなんてこりゃやっぱりおかしいよね。善意を指標化して、それを社会にどういかすかという観点から社会資本を使う権利の大小をはかるような新型共産主義、その前提としての新型社会主義のようなものの構築に今の未成熟なICT技術が生かされるような社会がくるんじゃないかなあ。資本主義っていうのはその前提に宗教的な(プロテスタント的な)善意が前提にあるんでしょう?いつの間にか変質して「お金」っていう紙切れに全能の価値があるかのような錯覚に陥ってないだろうか?そりゃ錯覚だ。明らかに錯覚だ。いよいよ「電子マネー」なんて紙切れもなくなっちゃうんだ。こりゃ幻想だ。あきらかに幻想だ。どっかで誰かがこの幻想のカネを消去するか、膨らませて破綻するかの問題がおきるだろう。タミフルで窓から飛び降りる直前の状況かもしれんな。
- by 九州教具(株)
- at 05:52
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