明智光秀

仏の嘘は方便と云ひ、武士の嘘をば武略と云ふ。

土民・百姓はかはゆき事なり。

-[1528?-82] 安土桃山時代の武将 明智光秀の言葉 江村専斎「老人雑話」より-

これって出所は、江村専斎(せんさい)っていう戦国時代の人の書いた「老人雑話」って話の中に書いてあるんだ。

正式には「仏の嘘は方便と云ひ・・」の前に、「明智日向守が云ふ」ってつくんだね。

明智光秀は、別名、「惟任(これとう)」、官職は「日向守(ひゅうがのかみ)」だった。

これって不思議だと思ったことはないですか?

ちなみに信長は若かりし頃官職は「上総介(かずさのすけ)」だった。

時代劇なんかによくでてくるでしょう。こんな名前。

これはね、あまりじつは意味はないんですよね。

別に光秀は日向(今の宮崎県ね)出身でもない。

平安時代までは朝廷が任命してた各地の長官にあたる人が「守(かみ)」。

次官にあたる人が「介(すけ)」ってなってたんですね。

でも武士の時代になってこれが機能しなくなっちゃった。

でもタテマエ上は朝廷から武士は委託されて政治を行っていたわけなので、この「官職」にはけっこうハクがあったわけだ。

大体戦国時代の武士は信長、家康、秀吉なんて成り上がりタイプの人が多く、光秀もそうだったみたいだ。

だから身分制の厳しいこの時代、でっちあげでもなんでも官職というハクは必要だったんだね。

だから乱発もされたし「自称」って人も多かったらしい。

だからぜんぜん関係もない地域名の「守」や「介」がいっぱいいるってわけだ。

ついでにいうと、武士たるものルーツとしてのハクは「源氏」と「平氏」にいきつくので、みんな「平信長(たいらののぶなが)」とか「源家康(みなもとのいえやす)」とか名乗ってる。

まあほとんど、うそなんだけど。

でもこの光秀という武将は「裏切り者」ってステレオパターンだけど地元では名将って言い伝えがある。

娘の玉姫(ガラシャ)も絶世の美女だったそうだし、残った絵を見ても日本人離れした美人に見える。

この今日の一言も領民を思う光秀の人柄だと信じたいなあ。

月別 アーカイブ