巡察使師父及び上表師父のお許しの下に、ゴアのイエズス会の館にて日本人コンスタンチノ・ドラード、これを版に刻すものなり。1588年
-天正遣欧使節随行員コンスタンチノ・ドラード(諌早出身:日本初の印刷職人)インドのゴアにて『原マルチノの演説』を出版する際印刷機に刻んだ言葉-
天正遣欧少年使節ってご存知ですか?
天正10年1582年、九州から大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名トリオが派遣した4人の少年使節だね。
ものすごくドラマティックで壮大な物語なんだ。
バイカー修ちゃんの住む長崎が主な舞台の発端となるんだよ。
その正使、千々石ミゲル、副使、原マルチノ、中浦ジュリアンが長崎県出身なんだ。
この田舎の4少年が、マカオから喜望峰をまわり、ローマ法王の謁見するなんてすごいじゃないか!
そしてね。最近バイカー修ちゃんもよーく知ってる。長崎県南島原市の県立口加高校の大石一久先生が、長崎県諌早市多良見町の山で千々石ミゲルの墓を発見したんだ。
彼らはものすごい苦労したのに報われなかった。
でも彼らはまだ名前が残っているだけもましかもしれない。
実は名もない随行員がいたんだね。
長崎県諫早市出身というだけしかわからないコンスタンチノ・ドラードという人物が、四少年が日本人として始めて使ったハイデルベルグの印刷機(聖書を印刷したらしい)にこの言葉を刻んだらしいんだ。
ドラマだねえ。悲しいねえ。
何度も映画化されようとしたんだけど、あまりに話が壮大すぎて、製作ができないんだ。
ハリウッドあたりでなんとかならないかなあ。
でもバタくさい顔の四少年ではなあ・・。


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