現実というものは我々の内側にしかない。
-[1877-1962] ドイツの詩人 ヘルマン・ヘッセの言葉-
この言葉がヘッセの「車輪の下」だったか「デミアン」だったかがよく覚えていないのだ・・。(だったら書くなよ!)
しかしこの言葉がすきなのだ。
バイカー修ちゃんの幼少の頃を告白すると、バイカー修ちゃんの家はバンドマンの父のもと決して豊かとはいえない家庭だった。
なんせ小学校低学年の頃6畳一間に一家三人住んでいたのだ。
しかしバンドマンという職業柄か「金はあるときは使う」みたいな気風のよさがあった。
自分で言うのもなんだがあんな水商売やわけのわからない連中の住んでいた「山の手」(長崎では坂が多く、裕福な家庭は下町に、庶民は山の手に住んでいたのだ)で僕は「お金持ち」だといわれていた。
アメリカの伯母が送ってくれたアメカジの服とマテルのおもちゃ、ハーシーのチョコレートをいつも持っていたからだ。
昭和40年代はそれがめちゃ派手に映った。
長崎はもともと港町で商売人さんは派手な格好して生活もそうだったけど。
僕んちは貧しかったから伯母が送ってくれた服を着てただけだし、バンドが仕事の父はアメちゃんからハインツのスープやハーシーやラッキーストライクの煙草やらクェーカーのオートミールをもらってきてただけなのだが・・・これが世間からそうとう浮いていた。
女の子にもよくもてた。
だから「車輪の下」の貧乏町から突然現れた神童ハンスに共感を持った。
僕も子供の頃「僕の生まれた町はこんな低俗な町であってはならない」と思っていたからだ。
「デミアン」にも心酔した。
このような悪魔的な魅力が自分にもほしいと思った。
中学生の頃だったと思う。まわりの誰もがヘッセなんて知らなかったし、暗いフォークソングが全盛だった。
僕が聞いてた音楽?父譲りのジョニー・ハートマンのボーカルとディープ・パーブルの破壊的ハードロックに心酔していた。
今思うとまさにそのとき感じていた「現実」は、小さな心の中の箱庭だったように感じる。



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