可能領域を見極めるには、その境界を越えて不可能領域へ踏み込んで行くしかないのだ。
-[1917-2008] 米国の小説家 アーサー・チャールズ・クラーク「失われた宇宙の旅 2001」より-
この本はおもしろいよ。
バイカー修ちゃんはアーサー・C・クラークファンなので、当然「2001年宇宙の旅」はDVDも持ってるし本は何度も読んでます。
これは「2001年~」から「2010年」「2061年」「3001年終局への旅」まで4作あるんです。
やはり「2001年」が最高におもしろい。
バイカー修ちゃんはSFはほとんど読まないし、映画もあまり見ませんがこの人は別。
この人とスタニスワフ・レムは本当におもしろい。
この人やレムはSFじゃなくて「哲学書」だと思うんですよ。
「2001年」は映画は難解で???てラストですが、原作とこの「タネ本」を見ればよーくわかります。
この言葉はクラークの思想でもあるし、すぐに限界を引いていいわけしたがる凡人のわれわれに対する警鐘だと思うぞ。
いいわけのために「知識」を溜め込む「官僚思考的頭脳」の持ち主にはクラークの小説はわかんないだろうなあ。
ボウマン船長はまさに「境界を越えて不可能領域へ踏み込んで」土星上の巨大モノリス(映画では木星ね!なんと時間と映像技術上の問題ではしょったことがこの本で判明!)に突入し、スターチャイルドという「純粋なエネルギー」生命体へと昇華し、まさに「神」の目で地球を見守る。
光を超越する彼に時間は無意味だ。
しかし、元ボウマンの彼には「命令する」それ以上の意思があるらしい。
科学的見地で宗教と地球の生命の根源とその破壊「ルシファーの鉄槌」「ガニメデの不可思議」にいたる壮大なドラマがそこにある。
しかし・・・あの名画も、予算と無理解と大怪人監督キューブリックとの葛藤の中から製作された妥協の産物だと知ったバイカー修ちゃんは驚くやらあきれるやら。
これではクラークの傑作「幼年期の終わり」がハリウッドで映画化されないはずだよ。
あんな娯楽金権主義にはクラークは断固反対するのはまちがいない。
あのスタニスワフ・レムの傑作「ソラリスの陽のもとに」の映画「惑星ソラリス」をみてあまりの精神性の欠落に怒りを感じたのはバイカー修ちゃんだけでしょうか?



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