2006年01月31日
千利休
稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる もとのその一
-[1522-92] 安土桃山時代の茶人・千家流開祖 千利休の句-
バイカー修ちゃんは義理の母が裏千家なので、ほぼ毎週日曜日は家族中で茶会でございます。小3の娘が点ててくれた茶はこれまた格別です。抹茶は味もすばらしいのですが、この茶道というものの合理性と精神性には敬服するばかりなのですね。その立ち振る舞いがまず「合理的」じつに最小の動きとなっている。畳の縁を踏まない(畳が長持ちする)。相手を尊重する。必ずおかわりを聞く。器を愛でる。味を楽しむ。これらすべてが融合されるとまず「美しい」「常に消えてなくなるアートである」茶の湯を身につけている人はすぐわかる。立ち振る舞いがまったく違う。なんども言うが美しいのである。この美しさは世界に通用する。茶の湯は日本料理とならび、世界に通用する文化である。英国の「マナー」に似てるがその深さとマニアックさと精神性で世界に例がないほどのものだと思う。「日本料理とならび」と言ったのは、たかが茶にこれほどの精神性を求める姿勢と土壌が、生魚を切っただけのものを「料理」として成立させているのに通ずる。日本では、この単純な料理こそ珍重される。素材のごまかし料理人のごまかしがきかないからであろう。この極限までにシンプルにストイックに本質をあぶりだす姿勢が日本人にはある。芝居に表情は不可欠と考えるのが世界の常識だ。しかし、表情を仮面で隠すことによって「真の喜怒哀楽」をあぶりだす能という芸能もまたしかり。このような難解な文化がいまや世界に認知されている。ハンチントンにしてからが日本文化をアジアの中でも独立した文化だと著書「文明の衝突」で語っている。へらへらした無関心な若者が多くともこの国の本質は簡単には変わらないぞ。
- by 九州教具(株)
- at 10:50
コメント
ありがとうございます!
おもろい