普通の人が懐疑家だとか無信仰者だとか自称する時は、大抵の場合何事でも最後まで考え抜く気持ちのないことを覆い隠すただのポーズである。
-[1819-80] 英国の女流作家 ジョージ・エリオット(本名:メアリー・アン・エバンス)『急進主義者フィーリクス・ホルト』より-
こんどはエリオットはエリオットでも、女流作家のジョージ・エリオットの小説「急進主義者フィーリクス・ホルト」から紹介します。
この人なんでメアリー・アンって女性なのに「ジョージ」なんて男名前のペンネームかってのが・・・やっぱ時代なんだよねえ・・。
恋人の名前から拝借したらしいけど、まだまだ女性では社会に発言するには制約が多かったんだろうな。
日本人には無信仰者だとか無神論者とか往々にして口にする人が多いけど、こういわれるときついなあ。でもそのとおりだったりして。
無神論者なんていうのはさ、「いきあたりばったり」「ご都合主義」を肯定しているようなものだからさ。
あまりほめられたものではないかもしれないね。
神を信じなくともその一部である道徳は信じてるだろうから。
それを信じないとなるとその人そのものを信じられない。
人から信じられない人は、他人をも信じない人だし。
他人を信じない人は・・・自分自身を信じていないのだと思うぞ。
人間なにかを信じないと生きていけないのでこのような人は擬似的に信じるものが必要になる。
それが多く場合「カネ」「金」ってパターンが多いんだな・・・。
「カネの価値は変わらない」とかいって。
でもね、「カネ」はモノだから減っちゃうんだよね、使っちゃうと。
豪遊して足りなくなると子供を誘拐して「カネ」に変えようとする不埒(ふらち)な人もでるんだから。
まあ、いつの世もこんな人はいるんだよな。
だから信じるものはモノでなくて精神がいいよ。
増えることはあっても減らないから。



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