長谷川如是閑(にょぜかん)

煩悶(はんもん)せざる青年は人生初期の経験に於て足らざる所あり、安心せざる老人は人生終期の経験に於て完からざる所あり

-[1875-1969] ジャーナリスト(大阪朝日新聞) 長谷川如是閑(にょぜかん)「如是閑語」より-

煩悶とは苦しみ悩むことですね。朝日新聞もこの方が活躍されたころは今の朝日新聞とは社風が違って いたのかもしれないな。今は目の前の煩悶から逃げようとする時代でしょう。逃げられるわけないのに。目の前から逃げて横道に入るとそこは断崖絶壁だったり するんだよな。現代は危機が危機の顔をしていなくて詐欺師の顔なもんで誰がヤバいのかわかりにくい。タトゥーのお兄ちゃんはみるからにヤバそうだけど、バ イカー修ちゃんのバイカー仲間(とくにハーレー系)のおにーちゃんやおねーちゃんはタトゥーやピアス系だけど結構話すとまともな人が多いのだ。格好だけ じゃあわからんよ。かえって真面目な公務員系の人が一般社会と乖離(かいり)してたりする。外見と中身の不一致っていうのも現代社会なのかもしれないな あ。

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