時代は遠く秦のころ。権勢を誇る趙高(ちょうこう)という者が大臣になり、皇帝に鹿を献上して「これは馬でございます」と言った。皇帝は笑って「鹿ではな いか」と修正した。ところが、居並ぶ家臣たちは趙高の権力を恐れ、黙ってしまったり、「大臣のおっしゃる通り馬です」と、へつらったりした。まれに「い え、鹿です」と正す者もいたが、彼らはあとで趙高に厳しく罰せられた。臣下たちはますます趙高を恐れるようになった。「鹿を指して馬と為(な)す」という ことばの始まりである
-「馬鹿」という言葉の語源-
中国古典の『史記』や『十八史略』に登場するもので、こりゃ紀元前200年くらいの話だからもう 2200年も前だね。「馬鹿」なる言葉はもっともポピュラーな言葉でいまだにメジャーな存在です。その語源なんですな。信憑性はともかくも、皇帝に鹿を謙 譲して「これは馬でございます」なんて言ってこの趙高(ちょうこう)なる人物は無事だったんだろうか?などというささやかな疑問もないではないが、中国に は「矛盾」といいこの手の話のネタが多いよね。この秦の始皇帝がらみでは「阿房」いわゆる「あほ」ですな。この話も有名だぞ。この皇帝でかいものが好きで (中国人はみなそうだ)「阿房宮」なる巨大は宮殿を建設した。これが火事になっちゃって燃えるのに三ヶ月もかかったことで馬鹿げたことを「阿房」というよ うになった説。とかね。知れば知るほど面白い中国史でした。


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