もし神が存在しなければ、全てが許される。
-[1821-81] ロシアの作家 フォードル・ミハイロビチ・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より-
昨日紹介した「カラマーゾフの兄弟」の中の一節です。このお話は父親フョードル殺しとその遺産相続 と人間関係を描いた長編ですが、これは『大審問官』のとき次男イヴァンがスメルジャコフに言った台詞だった(と思う)「神が存在しなければ、全てが許され る」という言葉は重いぞ。キリスト教に限らずこれまでの世界は宗教観という概念がものの判断の中枢なんだなあと思った。これが法の世界へ置き換わり、宗教 観は薄れていく。法で縛られる・・・ということは人のつくった法は抜け道がある。しかし「神」が創られた教えには抜け道はない。判断し裁くのは神である し、神は自分の心に畏怖(いふ)を持って「存在した」からである。公(おおやけ)の神は誰しも自分の心の中で土着化し多少違った神になっていくと思う。神 は人間だけの神ではないからしばしば人間に対し厳しい鉄槌を下される。最近もそんなことがあったよな。この神がくだされた鉄槌に関しての判断こそ人それぞ れ違うんだろうな。信仰心の厚い人も神の存在を否定する人も、それぞれの考えにおいて理由をつけ納得し、ぜんぜん違った行動を取るんだろう。それが人間だ もの。



お気に入り・リンク