名月を 取てくれろと 泣(なく)子かな
-[1763-1827] 江戸後期の俳人 小林一茶 長女里を思う句-
人生は将棋のようなものだ。自分の手中にあるものはチャンスではなく、駒の進め方だ
-[BC195-159] 古代ローマの喜劇作家 リビア人 プブリウス・テレンティウス・アフェルの言葉-
私たちは、遅きに失したスタートを切ろうとしている。21世紀のテクノロジー社会における、知力による大量殺戮を阻止しなければならない。これ以上の遅れは許されない状況だ。
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
私がこうした状況をどのように感じているとお思いだろうか? 非常に居心地が悪い。信頼性のあるソフトウェアシステ ムの開発に私の全生涯をかけてきたつもりが、今になって、未来は一部の人が想像するほど素晴らしいものにはならないような気がしてきた。私の個人的な経験 から言うと、私たちは自分の設計能力を過大評価する傾向にある。
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
人類は2030年までには今日のPCよりも何百万倍も強力なマシンを大量に生産し、人間レベルの知能を吹き込めるようになる
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
この25年間、私の仕事はほとんどがコンピュータネットワーキングに関するものだった。コンピュータネットワークの 世界でも、メッセージの送受信が制御不能な複製を生み出す可能性はある。しかし、コンピュータやコンピュータネットワークにおける複製の場合、たとえ問題 が発生してもその被害は最悪、マシンが機能しなくなるか、ネットワークやネットワークサービスがダウンするかという程度だ。ところが最近の新技術において は、制御の利かない自己複製は、もっと大きな危険をはらむ。現実の社会に実質的な被害をもたらす可能性のある深刻な危険性だ
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
とりわけ、ロボットや工学有機体やマイクロロボット(DNAなどの微細構造の変更をプログラムできる分子サイズのイ ンテリジェントマシン)はいずれも、危険を増幅する要因を備えている。その要因とは、こうした技術は自己再生が可能であるという点だ。爆弾は一度爆発すれ ばそれで終わりだ。しかし、1台のロボットは増殖できる。そして、すぐにも制御がきかなくなってしまう。
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
私たちは、ほとんど科学の躍進に慣れっ子になってしまい、ロボット工学や遺伝子工学や超微小技術など、21世紀を担うであろう最新技術が、これまでの技術とは異なる脅威をもたらしているという事実をまだ受け入れられずにいる
-米国サン・マイクロシステムズ創業者の一人 ビル・ジョイ2001年3月米雑誌「WIRED」での発言-
われわれ人類の知性とは対照的に、コンピュータの性能は18カ月おきに2倍になっている。コンピュータが知性を持ち、世界を支配するという危険は現実のものとなっている。人類を電子システムより優れた存在にしておきたいのなら、われわれは遺伝子操作の道を進むべきだ。
- [1942-] 英国の理論物理学者 スティーブン・ウィリアム・ホーキング2001年9月の発言-
負けっぷりは立派にしようというのが、私の総指令部に対する一貫した考え方だったのである
-[1878-1967] 元首相・外交官 吉田茂「日本を決定した百年」1967年刊より-
米国はテロリストを支援する人々の敵であり、偉大な宗教の名のもとに殺人を行い、その宗教を汚す残酷な犯罪者の敵である。
-[1946-] 米国第43代大統領 ジョージ・ウォーカー・ブッシュ2001年10月アフガン攻撃「不朽の自由」の演説-
もし神が存在しなければ、全てが許される。
-[1821-81] ロシアの作家 フォードル・ミハイロビチ・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より-
多くの不幸は、自分を実際よりも高く買いかぶるところから生じる
-[1821-81] ロシアの作家 フォードル・ミハイロビチ・ドストエフスキーの言葉-
現代人の欠点は、自分の職業に愛と誇りをもっていないことである。多くの人が職業を必要悪、のろうべき苦役と考えている。
-[1840-1917] フランスの彫刻家 オーギュスト・R・ロダンの言葉-
山のあなたの空遠く「幸(さいわい)」住むと人のいふ。噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ。
-[1872-1918] ドイツの詩人 カール・ブッセ(上田 敏:訳)「山のあなた」より-
疲れた人はしばし路傍(ろぼう)の草に腰をおろして 道行く人を眺(なが)めるがよい。人は決してそう遠くへは行くまい。
-[1818-83] ロシアの小説家 イワン・セルゲイヴィッチ・ツルゲーネフの言葉-
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