感動は心に止まって消えようとせず、しかもその実在を信ずる為には、書くという一種の労働がどうしても必要に思われてならない。書けない感動などと言うものは、皆嘘である
-[1902-83] 昭和期の評論家 小林秀雄の言葉-
今の社会は「書く」社会だなあとつくづく思う。というと反論が聞こえる。確かに昔の方が心に響く文学も歌も多いし達筆な人も多い。でも昭和以前は文字が書ける読めるというのは「特殊技能」に近かった。まあ、読み書きができる人は「プロ市民」だな。プロの集団はレベルも高い。今は小学生以上の大多数の国民は読み書きができる。これこそ脅威だと思うぞ。でも「アマ市民」だな。レベルも低い。でも仕方ないでしょう。もっと驚くのはほとんど若者は「メール」というツールで字が打てる!中身がない?そりゃそうだろ。話し言葉だもんな。評論する側は意外とこれが打てない「プロ市民」が多いんだ。観点がずれているのだ。言葉を話さず打つ人間の登場。さすがに不気味だとは思うぞ。文学離れが嘆かれているが、本当にそうなんだろうか?昔の日本人って少なくとも両親の時代の日本人ってそんなに本を読んでたんだろうか?自民党の政治家の愛読書の筆頭によく出てくる「坂の上の雲」本当に~?自民党の政治家のほとんどは本なんか読んでないと思うぞ。だって顔にでてるもの。



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